チェロキー族は自発的に同意したわけではない
実は、チェロキー族がオクラホマへの移住に「同意」したというのは誤解です。彼らは自発的に移住を受け入れたのではなく、1830年代にジョージア州をはじめとする南東部の故郷から強制的に追い立てられました。この悲劇的な出来事は、今日「涙の道(Trail of Tears)」として知られています。
背景となった「インディアン移住法」
強制移住の直接的な引き金となったのは、1830年に制定された「インディアン移住法(Indian Removal Act)」です。この法律は、連邦政府がネイティブ・アメリカンの各部族と条約を締結し、東部の土地と引き換えに西部の土地を提供することを認めるものでした。表向きは「対等な交渉」とされましたが、実際には部族側に拒否する余地はほとんど残されていませんでした。
法による抵抗――ウースター対ジョージア州事件
チェロキー族は移住に断固として抵抗し、条約の合法性を争って連邦最高裁判所に訴えました。これが歴史に名を残す「ウースター対ジョージア州事件(Worcester v. Georgia)」です。しかし、最終的にチェロキー族は敗訴し、望まないまま西方への移住を余儀なくされました。
まとめ:同意ではなく強制の結果
つまり、チェロキー族がオクラホマへ移住したのは自由意志によるものではなく、法律と軍事力による強制の結果だったのです。過酷な移動の途上で数千人が命を落としたこの歴史は、現在でもアメリカ先住民にとって消えることのない深い傷跡として記憶され続けています。