北米の歴史

アメリカ北部は奴隷制度にどのように関わっていたのか?

はじめに

アメリカにおける奴隷制度は主に南部諸州に集中していましたが、北部も程度の差こそあれ、奴隷貿易や奴隷制度の維持に関与していました。ここでは、北部が奴隷制度とどのように関わっていたのか、6つの側面から詳しく見ていきます。

1. 三角貿易への関与

北部の商人たちは、大西洋を舞台とした奴隷貿易において重要な役割を果たしていました。彼らは物資をアフリカへ運び、そこで奴隷と交換し、その人々をカリブ海や南部諸州へと輸送していたのです。

また、北部の造船業者は、「中央航路(ミドル・パッセージ)」と呼ばれる、アフリカからアメリカ大陸への奴隷輸送に使用される船を建造・供給していました。さらに、北部の投資家たちは奴隷貿易の遠征やプランテーションに対して、資本や資金面での支援を行っていました。

2. 経済的な結びつき

北部の繊維工場などの産業は、南部のプランテーションで生産される綿花に大きく依存していました。この経済的な相互依存関係により、北部の実業家や政治家には、南部との関係を維持し、奴隷制度廃止の要求に抵抗する強い動機が生まれました。

3. 逃亡奴隷法

1850年の逃亡奴隷法は、北部の人々にも逃亡した奴隷の捕獲と、南部の所有者への返還を義務付ける連邦法でした。この法律により、北部の市民は奴隷制度の維持に加担することとなり、廃止論者や反奴隷制活動家たちの間で大きな道徳的反発を引き起こしました。

4. 奴隷制を認めていた州

建国当初、北部のいくつかの州でも奴隷制度が合法化されていました。これらの州のほとんどは次第に奴隷制度を廃止していきましたが、なかには廃止が遅れた州もありました。例えば、ペンシルベニア州は1780年に奴隷制度を廃止しましたが、ニュージャージー州とニューヨーク州はそれぞれ1804年と1827年まで廃止されませんでした。

5. 人種差別

北部では法的な奴隷制度は存在しなかったものの、人種差別や人種隔離は依然として広く根付いていました。多くの北部都市では、学校、住宅、公共施設が人種によって分離されており、雇用機会、住宅、社会生活における差別は、自由な黒人たちの可能性を大きく制限していました。

6. 政治的妥協

連邦政府は、国家統一を維持し南北間の対立を回避するため、奴隷制州の利益を保護する複数の政治的妥協に達しました。1820年のミズーリ妥協や1850年の妥協といった取り決めは、奴隷制度という悪弊に対処することよりも、国家の統一を優先しようとする北部の姿勢を如実に反映していました。

まとめ

北部は南部ほど深く奴隷制度に組み込まれてはいませんでしたが、経済的・政治的・社会的なつながりは、アメリカにおける奴隷制度問題の複雑さと対立を深める要因となり、最終的には南北戦争へとつながっていきました。