北米の歴史

ピルグリムたちはなぜ花の咲く5月に北米へ渡ったのか?――実は「メイフラワー号」が鍵

「5月に来た」は誤解――メイフラワー号の正体

ピルグリム・ファーザーズ(巡礼者)が北アメリカに渡ったのは、花が咲く5月ではありません。彼らを運んだ船の名前が「メイフラワー号(Mayflower=五月花号)」だったため、「5月に到着した」という誤解が生まれやすいのです。実際には、メイフラワー号は1620年9月にイングランドのプリマス港を出港し、同年11月に北米大陸へ到着しました。

プリマスからプリマスへ

メイフラワー号はイングランド南西部の港町プリマスを出航し、大西洋の横断に約2か月を要しました。乗客は102名。彼らが上陸したのは、現在のアメリカ合衆国マサチューセッツ州にあるプリマスです。出発地と到着地が偶然にも同じ「プリマス」という名前であることは、よく知られた歴史の一致として語り継がれています。

彼らはなぜ海を渡ったのか

ピルグリムたちは、イングランド国教会からの分離を志した清教徒(ピューリタン)の一団でした。当時のイングランドでは、国教会の教えに従わない信仰を実践することが許されず、彼らは宗教的迫害に苦しんでいました。一時はオランダのライデンへ移住しましたが、生活の困窮や子どもたちの文化的同化への懸念もあり、ついに自由な信仰生活を求めて新大陸への渡航を決意したのです。

メイフラワー誓約と新しい植民地

到着後、彼らは船上で「メイフラワー誓約(Mayflower Compact)」と呼ばれる自治の原則に署名しました。この文書は、北米における自治政府の基礎となったものとして知られています。過酷な最初の冬を乗り越えた後、先住民ワンパノアグ族の助けを得て農耕を学び、1621年秋には収穫を祝う宴を開きました。これが後の感謝祭(サンクスギビング)の起源だと伝えられています。

まとめると、ピルグリムたちが北米に到着したのは5月ではなく1620年11月。謎を解く鍵は、船の名前「メイフラワー号」にあったのです。