答え:南部
アメリカ合衆国の歴史において、奴隷制を法的に認めていたのは南部でした。一方、北部では奴隷制が廃止され、「自由州」として知られるようになっていました。この南北の対立は、やがて南北戦争(1861年~1865年)という国家分裂の危機へと発展することになります。
メイソン=ディクソン線とは
「メイソン=ディクソン線」は、ペンシルベニア州とメリーランド州の間に引かれた境界線のことです。元々は18世紀に両州の領土紛争を解決するために測量されたものですが、その後、自由な北部と奴隷制の南部を分かつ象徴的な一線となりました。
南北戦争の時代には、この線がまさに「北」と「南」を隔てる境界として機能し、奴隷制を巡る激しい対立の中心に据えられました。「ディープサウスへ行く」「北へ逃げる」といった表現にも、この境界線の存在が深く関わっています。
北部(自由州)と南部(奴隷州)の違い
- 北部: 自由州で構成され、奴隷制は違法とされていました。工業化が進み、移民労働力に依存する経済構造でした。
- 南部: 奴隷州で構成され、綿花などのプランテーション経営の基盤として奴隷労働に大きく依存していました。
1850年代にはミズーリ妥協やカンザス・ネブラスカ法など、新たな領土における奴隷制の是非を巡る妥協と対立が繰り返されました。最終的に、リンカーン大統領による「奴隷解放宣言」(1863年)と、憲法修正第13条の批准(1865年)によって、合衆国全土で奴隷制は正式に廃止されることとなります。