アメリカ南北戦争(1861年〜1865年)において、「ユニオン(連合)」すなわちアメリカ合衆国(北軍)は、南部連合(南軍)を打ち破り、国家の統一を回復するために数多くの戦略と作戦計画を実行しました。本記事では、南北戦争の帰趨を決めた北軍の主要な計画を、時系列に沿ってわかりやすく解説します。
アナコンダ計画(海上封鎖戦略)
アナコンダ計画は、開戦初期にウィンフィールド・スコット将軍によって立案された戦略です。その名は、獲物を締め上げて弱らせる大蛇「アナコンダ」にちなんでいます。
この計画の核心は、南軍の港を海上封鎖することで、国際貿易や物資供給の経路を断ち切り、南部経済を窒息させることにありました。北軍海軍は南軍の港湾部や水路を封鎖する役割を担い、この戦略の実現に大きく貢献しました。
半島方面作戦(ペニンシュラ・キャンペーン)
1862年、ジョージ・B・マクレラン将軍率いる北軍は、バージニア州フォート・モンローに上陸し、バージニア半島を北上して南部連合の首都リッチモンドを攻略することを目指しました。
しかし当初の成功にもかかわらず、作戦は行き詰まり、マクレランの軍勢は撤退を余儀なくされました。
七日間の戦い
マクレランの半島方面作戦に対抗して、南軍のロバート・E・リー将軍は1862年6月から7月にかけて「七日間の戦い」を発動しました。
この一連の戦闘で南軍は多くの交戦に勝利し、北軍をジェームズ川沿いのハリソンズ・ランディングへ撤退させることに成功しました。
奴隷解放宣言
1863年1月、エイブラハム・リンカーン大統領は奴隷解放宣言を発布し、南部諸州のすべての奴隷が自由であることを宣言しました(1863年1月1日発効)。
即座に全ての奴隷が解放されたわけではありませんでしたが、この宣言は戦争の大きな転換点となり、北軍の目的を奴隷制廃止という大義と結びつけました。
ヴィックスバーグ方面作戦とゲティスバーグ方面作戦
1863年、北軍は西部戦線でヴィックスバーグ方面作戦、東部戦線でゲティスバーグ方面作戦という二つの major キャンペーンを展開しました。
ユリシーズ・S・グラント将軍が指揮したヴィックスバーグの勝利により、北軍はミシシッピ川の支配権を握り、南部連合を東西に分断することに成功しました。一方、ゲティスバーグでの勝利は、リー将軍率いる北バージニア軍に深刻な打撃を与え、戦争の転換点として広く認識されています。
総力戦とシャーマンの海への進軍
戦争が進むにつれ、北軍は南軍の経済とインフラを破壊することを目指す、より攻撃的な「総力戦」戦略を採用するようになりました。
その代表例が、1864年末に行われたウィリアム・T・シャーマン将軍による「海への進軍」です。シャーマンの軍隊はジョージア州を縦断しながら破壊の道を切り開き、南軍の戦意を挫くことを狙いました。
アポマトックス方面作戦 ― 戦争の終結
戦争の最終段階となったのがアポマトックス方面作戦です。1865年4月9日、リー将軍率いる北バージニア軍は、バージニア州アポマトックス・コートハウスにて、グラント将軍率いる北軍に降伏しました。
この降伏は事実上、南北戦争の終結と合衆国の統一維持を意味するものでした。こうして4年に及ぶ内戦は幕を閉じ、アメリカは再び一つの国家として歩み始めたのです。