北米の歴史

南北戦争で最悪とされた南軍の捕虜収容所はどこ?――「アンダーソンビル」の実態

南北戦争最悪の捕虜収容所「アンダーソンビル」

アメリカ南北戦争(1861年〜1865年)において、南軍(アメリカ連合国)が運営した捕虜収容所の中で最も悪名高いのは、ジョージア州アンダーソンビル近郊に設置されたアンダーソンビル収容所(正式名称:キャンプ・サムター)です。この収容所は、その苛烈な環境と悲惨な死者数から、「南北戦争最大の悲劇」と呼ばれています。

運営期間と驚異的な死者数

アンダーソンビル収容所は1864年2月24日から1865年4月27日までの約14か月間にわたって運営され、推定45,000人の北軍(合衆国軍)兵士を収容しました。しかし、そのうち13,000人以上が病気、栄養失調、過密状態、そして管理側の怠慢によって命を落としたのです。死亡率は約30%に達し、当時の捕虜収容所の中でも突出して高い水準でした。

劣悪な衛生環境が招いた悲劇

収容所は当初5,000人程度を想定して建設されましたが、実際にはその9倍近い捕虜が狭い敷地に押し込まれる過密状態に陥りました。基本的な衛生設備はほとんど整備されておらず、飲み水として利用されていた小川は台所や厠からの排水で汚染され続けました。その結果、赤痢や壊血病などの感染症が蔓延し、多くの捕虜が適切な治療を受けられないまま亡くなっていきました。

戦後への影響と現在

終戦後、収容所の責任者であったヘンリー・ウィルツ大尉は戦犯として裁かれ、1865年に処刑された南軍側で唯一の将校となりました。現在、収容所の跡地はアンダーソンビル国立歴史公園として保存・公開されており、アメリカ史上すべての戦争捕虜を追悼する聖地にもなっています。