北米の歴史

米国憲法に反対した主導的な「反連邦主義者」とは誰か?

1787年に起草されたアメリカ合衆国憲法は、その批准をめぐって激しい論争を引き起こしました。強力な中央政府の創設を支持する「連邦主義者(Federalists)」に対し、批准に反対または懐疑的な立場をとった人々は「反連邦主義者(Anti-Federalists)」と呼ばれます。彼らは中央集権化された権力が市民の自由を脅かすことを恐れ、権利章典の追加を強く求めました。ここでは、この運動を主導した代表的な人物たちを紹介します。

パトリック・ヘンリー(Patrick Henry)

バージニア州出身の著名な雄弁家・政治家であるパトリック・ヘンリーは、「我に自由を、さもなくば死を」という名言で知られる独立運動の中心人物です。彼は憲法に対する最も声高な反対者の一人であり、憲法が連邦政府に過大な権限を与えるものであり、いずれ専制政治につながると強く訴えました。バージニア州の批准会議では、反対派の指導的役割を担いました。

ジョージ・メイソン(George Mason)

憲法制定会議におけるバージニア州代表の一人だったジョージ・メイソンは、憲法草案が個人の権利を十分に保障していないとして、最終文書への署名を拒否した数少ない代表者の一人です。その後も憲法への鋭い批評家であり続けました。彼が1776年に起草した「バージニア権利章典」は、後の合衆国権利章典のモデルとなったことで広く知られています。

エルブリッジ・ゲリー(Elbridge Gerry)

マサチューセッツ州代表として憲法制定会議に参加したエルブリッジ・ゲリーもまた、憲法が連邦政府に過大な権限を与えるものだと考え、署名を拒否しました。彼は後にマサチューセッツ州知事および合衆国副大統領を務めましたが、一般には「ゲリマンダー(gerrymander)」――特定の政党に有利になるよう選挙区を意図的に区割りする行為――の語源となった人物として特に有名です。

リチャード・ヘンリー・リー(Richard Henry Lee)

バージニア州出身の政治家リチャード・ヘンリー・リーは、独立宣言の提出提議で名を残した人物です。彼は憲法が州の利益や個人の自由を十分に守っておらず、中央集権的な政府をもたらす恐れがあると主張し、批准に反対する急先鋒となりました。反連邦主義者の主張を代表する一連の論説は、当時広く読まれ大きな影響力を持ちました。

サミュエル・アダムズ(Samuel Adams)

アメリカ独立革命の重要な指導者であり、ボストン茶会事件にも関わったサミュエル・アダムズも、憲法に対する有力な批判者の一人でした。彼は憲法が連邦政府に過大な権力を与え、個人の権利を十分に保障していないと懸念を表明しました。ただし、権利章典の追加が約束されると、彼は最終的に憲法の批准を受け入れています。

まとめ

これらの反連邦主義者たちの批判と抵抗は決して無駄にはなりませんでした。彼らの中心的な要求であった権利章典(修正第1条から第10条)が1791年に追加されたことで、個人の自由と州の権限に対する懸念が成文法として保障されることになりました。反連邦主義者たちの遺産は、今日のアメリカの政治文化にも深く根付いています。