サムター要塞砲撃の直接のきっかけ
南軍(アメリカ連合国軍)の砲台がサムター要塞へ砲撃を開始したのは、要塞司令官であるロバート・アンダーソン少佐が、南軍のP.G.T.ボーリガード将軍からの降伏要求を拒否したことが伝わったためです。アンダーソン少佐が最後通牒を受け入れなかったことにより、交渉による解決の道は閉ざされ、南軍は武力行使に踏み切ることになりました。
歴史的背景と経緯
この事件は1861年4月12日の早朝、サウスカロライナ州チャールストン港に位置するサムター要塞において発生しました。リンカーン大統領が要塞への補給を行う方針を示すと、分離(脱退)を選んだ南部諸州にとって、連邦軍が同要塞を保持し続けることは許容できない問題でした。
ボーリガード将軍はアンダーソン少佐に対し降伏を勧告しましたが、アンダーソンはこれを拒否。その報せを受けた南軍の沿岸砲台は、4月12日午前4時30分頃に最初の一発を要塞へと放ちました。
砲撃の結果とその意義
砲撃はおよそ34時間にわたって続き、4月13日についにアンダーソン少佐は要塞の明け渡しを受け入れました。幸いにも双方に死者は出ませんでしたが、この事件はアメリカ合衆国の歴史における重大な転換点となりました。
サムター要塞への砲撃は、南北戦争(アメリカ内戦)の幕開けを告げる出来事として知られています。この一発の砲声が、その後4年間に及ぶ激しい内戦と、60万人以上の犠牲者を出す悲劇の始まりとなったのです。