南北戦争が始まる前に、奴隷制を認めるか自由州とするかをめぐって激しく争ったのは、カンザスです。当時カンザスはまだ州ではなく準州(テリトリー)でしたが、その所属を決める過程で奴隷制問題が白熱し、国内最大の政治的争点となりました。
なぜカンザスで争いが起きたのか
1854年に成立した「カンザス・ネブラスカ法」により、これらの地域では住民投票によって奴隷制の可否を決める「人民主権」の原則が採用されました。この結果、奴隷制賛成派(プロスレーブリー)と反対派(アンチスレーブリー)の双方が自陣営に有利になるようカンザスへ大量に入植し、対立は急速に先鋭化していきました。
「流血のカンザス」(Bleeding Kansas)
両派の衝突はやがて武力闘争へとエスカレートしました。選挙の不正、襲撃、略奪、殺人などが相次ぎ、準州全体が暴力に覆われたことから、この時期のカンザスは「流血のカンザス」として知られるようになりました。特に1856年には、奴隷制反対派の拠点だったローレンス町が賛成派の武装集団に襲撃される事件が発生し、全国に大きな衝撃を与えました。
南北戦争への序章
カンザスでの暴力沙汰は、単なる地方の紛争にとどまらず、北部と南部の緊張を一気に高める要因となりました。議会でも奴隷制をめぐる対立が深刻化し、妥協は次第に困難になっていきました。そのため、「流血のカンザス」は南北戦争の前兆・序章であると広く評価されています。
このように、カンザス準州での抗争は、アメリカが奴隷制という根本的な問題に向き合うことになった歴史的転換点の一つといえるでしょう。