アメリカ北部では、奴隷制度は南部ほど広く普及していませんでした。それでも北部の一部では奴隷制度が存在していたため、「なぜ北部にも奴隷制度があったのか」という疑問が生まれます。その答えの鍵は、植民地時代の宗教的・思想的な背景にあります。
ピューリタンとクエーカーによる反対姿勢
北部の植民地の多くは、イングランドから移住したピューリタン(清教徒)によって設立されました。彼らは、同じくイングランド出身のクエーカー教徒と同様に、奴隷制度という制度そのものに反対する立場を取っていました。こうした宗教的な価値観が、北部において奴隷制度が大規模に拡大しない一因となったのです。
北部を拠点とした奴隷制廃止運動
さらに重要な点として、アメリカにおける奴隷制廃止運動(アボリショニズム)の大部分も北部を拠点として展開されました。活動家たちは北部で新聞の発行や講演活動を通じて世論を喚起し、奴隷制度の撤廃を訴え続けました。この運動の存在が、北部と南部の社会的な違いをいっそう際立たせることになりました。
まとめ
このように、北部では奴隷制度が広く普及することはなく、独立後には多くの北部諸州が段階的に奴隷制を廃止していきました。ピューリタンやクエーカーに代表される宗教的信念と、北部発の廃止運動の存在こそが、北部と南部の運命を分けた大きな要因といえるでしょう。