第一次世界大戦(1914年〜1918年)の終結後、勝利した連合国は、敗戦した中央同盟国側の諸国に対して多額の賠償金の支払いを求めました。1919年に開かれたパリ講和会議で結ばれた一連の講和条約により、賠償義務を負わされた主な国は次の通りです。
- ドイツ
- オーストリア
- ハンガリー
- ブルガリア
- オスマン帝国
ヴェルサイユ条約とドイツへの賠償請求
中でも最も厳しい賠償を課されたのがドイツです。1919年6月28日に調印されたヴェルサイユ条約では、ドイツに開戦の責任があるとする「戦争責任条款」(第231条)が盛り込まれ、総額1,320億金マルクという巨額の賠償金の支払いが命じられました。この過重な負担はドイツ経済を深刻に圧迫し、その後のハイパーインフレーションや政治的混乱を招く一因となったとされています。
オーストリア・ハンガリー・ブルガリアへの処理
オーストリアにはサン=ジェルマン条約(1919年)、ハンガリーにはトリアノン条約(1920年)、ブルガリアにはヌイイ条約(1919年)がそれぞれ締結され、領土の大幅な縮小とともに賠償金の支払いが課されました。また、オスマン帝国に対してもセーヴル条約(1920年)で賠償が求められましたが、その後のローザンヌ条約(1923年)によって条件は大きく見直されています。
賠償問題が歴史に残した影響
これらの賠これらの賠償請求は、敗戦国の経済を疲弊させただけでなく、国民の不満やナショナリズムの高揚を促し、やがて第二次世界大戦へとつながる国際情勢の不安定化の一因となったと広く指摘されています。戦後処理のあり方が後世に与える影響の大きさを示す歴史的教訓といえるでしょう。