第二次世界大戦中のイギリスにおける民間人の避難(エバキュエーション)は、大きく分けて3つの波として実施されました。この一連の避難は、1939年9月1日に始まり、1941年3月まで続く、およそ18か月間にわたるものでした。
第1波:開戦直前の大規模避難(1939年9月)
最初の避難は、ドイツ軍によるポーランド侵攻が始まった1939年9月1日、イギリスの対独宣戦布告のわずか2日前に実施されました。「ピードパイパー作戦」と呼ばれるこの計画では、ロンドンなどの都市部に住む学齢期の子供たちや母親、妊婦、体の不自由な人々など、約150万人が空襲の危険が少ない田舎や安全な地域へと移動しました。
第2波:戦局悪化に伴う再避難(1940年)
1940年に入ると、予想されていた空襲がすぐには起こらなかったこともあり、多くの避難者が自宅へ戻っていました。しかし、同年5月のフランス陥落や、夏以降のドイツ軍による本格的な空襲(ザ・ブリッツ)の脅威が高まったため、政府は再び都市部からの避難を促し、第2の波が発生しました。
第3波:最後の避難(1941年)
3番目の波は1941年初頭に行われました。こうして、1939年9月に始まった避難政策は、約18か月という期間を通じて段階的に展開されることとなりました。
このように、イギリスの戦時避難は一度きりの出来事ではなく、戦局の変化に応じて数回に分けて実施された、大規模かつ継続的な国民動員だったのです。