北米の歴史

ペンシルベニアの入植者は先住民の攻撃を恐れなかった?——その前提は誤りだった

「ペンシルベニアの入植者たちはアメリカ先住民の攻撃をほとんど恐れなかった」という前提は、実は正しくありません。植民地時代のペンシルベニアでは、入植者たちは地域の先住民族連合との紛争に日常的に直面し、攻撃への恐怖を抱きながら生活していました。

誤解されがちな「平和なペンシルベニア」像

ウィリアム・ペンが設立したペンシルベニア植民地は、創設当初こそレナペ族(デラウェア族)などと比較的友好的な関係を築いたことで知られています。しかし、この友好関係は永続的なものではなく、人口増加による土地への圧力とともに次第に崩れていきました。

実際に起きた紛争と攻撃

フレンチ・インディアン戦争期の辺境襲撃

1750年代のフレンチ・インディアン戦争(北米における七年戦争)中、ペンシルベニア西部の辺境ではデラウェア族やショーニー族などによる襲撃が頻発しました。1755年のブラドック遠征の敗北後、辺境の入植地は深刻な脅威にさらされ、多くの入植者が要塞化された町へ避難せざるを得なくなりました。

ポンティアック戦争

1763年に始まったポンティアック戦争では、五大湖周辺の複数の部族連合がイギリスの支配に抵抗し、ペンシルベニア西部の砦や入植地が攻撃の対象となりました。

土地問題と暴力の連鎖

1737年の「ウォーキング・パーチェス」のような不正な土地取得は先住民との関係を大きく悪化させました。さらに同年、パクストン・ボーイズと呼ばれる入植者集団が無防備なコンエストーガの先住民を虐殺する事件が発生し、入植者社会の内部にまで恐怖と敵意が深く根付いていたことが示されています。

まとめ

ペンシルベニアは他の植民地と比べれば初期の先住民との関係は穏健でしたが、「入植者が先住民の攻撃を恐れなかった」というのは史実に反します。むしろ辺境の入植者たちは常に攻撃の可能性に怯えて暮らしており、その恐怖こそが後の報復と暴力の連鎖を生み出す一因となったのです。