北米の歴史

サライタ丘の戦いはいつ起こった?日付と背景・経過をわかりやすく解説

サライタ丘(Salaita Hill)の戦いは、1916年2月12日に行われた戦闘です。舞台となったのは、当時ドイツ領東アフリカ(現在のケニア南東部、タンザニア国境付近)に位置するサライタ丘で、第一次世界大戦の東アフリカ戦役における重要な戦いの一つとして知られています。

戦いの背景

第一次世界大戦が勃発すると、ドイツ領東アフリカでは、パウル・フォン・レットウ=フォルベック中佐率いるドイツ防衛軍が卓越したゲリラ戦術によって、圧倒的な数を誇る連合軍を翻弄し続けていました。1916年初頭、イギリス側はヤン・クリスティアーン・スマッツ将軍を司令官に迎え、南アフリカ連邦軍を主力とした大規模な攻勢を計画します。その最初の目標となったのが、キリマンジャロ方面への玄関口にあたるサライタ丘でした。

戦闘の経過

1916年2月12日の早朝、スマッツ将軍は数千人規模の南アフリカ部隊を投入し、丘への総攻撃を開始しました。しかし、事前の砲撃がかえって自軍の配置を露呈させてしまったことや、偵察の不備などが重なり、少数ながら要塞化された陣地で待ち構えるドイツ軍の猛烈な反撃を受けてしまいます。攻撃は失敗に終わり、連合軍は撤退を余儀なくされました。この戦いで連合軍は死者・負傷者・捕虜合わせて約140名の損害を出した一方、ドイツ軍の損害はごく僅かでした。

戦いの影響とその後

サライタ丘での敗北は、東アフリカ戦役における連合軍初期の大きな挫折となりました。しかし、スマッツ将軍は正面突破に頼らない広範囲な包囲作戦へと方針を転換し、兵力と補給面での優位を活かして進撃を続けます。同年3月にはタヴェータとモシを占領し、キリマンジャロ地域の確保に成功しました。

このように、サライタ丘の戦いは1916年2月12日に、現在のケニア・タンザニア国境付近で起こった第一次世界大戦の戦闘です。数で大きく劣るドイツ軍が強大な連合軍を退けた好例として、東アフリカ戦史における著名なエピソードとなっています。