北米の歴史

イリノイ州の植民地時代と領土時代とは?歴史をわかりやすく解説

植民地時代のイリノイ

ヨーロッパ人として最初にイリノイ地方を探検したのはフランス人でした。1673年には宣教師ジャック・マルケットと探検家ルイ・ジョリエがこの地を訪れ、17世紀末の1695年頃には、フランス人がカスカスキアに交易所を設立しました。以降、ミシシッピ川沿いを中心に毛皮交易を軸とした入植地が発展していきます。

しかし、1754年から1763年にかけて続いたフレンチ・インディアン戦争(北米における七年戦争)でフランスが敗北すると、1763年のパリ条約によりイリノイ地方はイギリスの支配下に入りました。その後、アメリカ独立戦争が勃発すると、ジョージ・ロジャース・クラーク率いるアメリカ側の部隊が1778年にカスカスキアを占領し、この地域は徐々に新興のアメリカ合衆国へと引き継がれていきます。

1787年の北西部条例(Northwest Ordinance)により、イリノイは北西準州(Northwest Territory)の一部となりました。そして1818年12月3日、イリノイは合衆国21番目の州として正式に州へ昩格を果たしたのです。

イリノイ準州の時代

1809年、イリノイ準州(Illinois Territory)が正式に設立されました。当時の準州は現在のイリノイ州全域に加え、ウィスコンシン州やミネソタ州の一部、さらにはミシガン州上部半島の西部まで含む、非常に広大な範囲をカバーしていました。準州の首府は当初カスカスキアに置かれました。

その後、人口の増加とともに自治への機運が高まり、1816年頃から周辺地域の区分けが進み、1818年についにイリノイは州へと昩格します。州昩格後の1820年には首府がヴァンダリアへ移転し、のちに1837年には現在の州都であるスプリングフィールドへと遷都されました。

植民地・領土時代の人々の暮らし

初期の入植者の大多数は農民であり、トウモロコシ、小麦、オート麦などを栽培し、豚や牛を飼育して生計を立てていました。交通手段の中心は川船で、ミシシッピ川は穀物や毛皮などの物資を運ぶ最重要の交易路として機能していました。

一方で、開拓者たちの生活は決して楽なものではありませんでした。厳しい気候、未整備の道路網、先住民族との緊張や紛争の脅威など、多くの困難が彼らを待ち受けていました。それでも入植者たちは粘り強く荒野を切り開き、やがてイリノイを力強く繁栄する州へと発展させていったのです。