北米の歴史

バージニア計画とニュージャージー計画はどのように形成されたのか?

はじめに

1787年のフィラデルフィア憲法制定会議において、アメリカ合衆国の政府のあり方をめぐって、二つの対立する提案が提出されました。それが「バージニア計画」と「ニュージャージー計画」です。この二つの計画の対立と妥協の過程こそが、現在の合衆国憲法の基礎を形作ることになりました。

バージニア計画とは

バージニア計画は、ジェームズ・マディソンによって起草・提唱された案です。主な内容は以下の通りです。

  • 人口に比例した議席配分による二院制の立法府
  • 議会によって選出される強力な行政府

この計画は、人口の多い大州に有利な内容だったため、「大州の計画」とも呼ばれました。

ニュージャージー計画とは

これに対して、ウィリアム・パターソンが支持したニュージャージー計画は、小州の利益を守ることを目的とした案でした。

  • 各州が平等の代表権を持つ一院制の立法府
  • 議会によって選出される弱い行政府

人口の少ない小州にとって、州ごとの平等な投票権は死活的に重要な問題であり、この計画は「小州の計画」とも称されます。

二つの計画の統合――コネチカット妥協

会議は長引く対立の末、最終的に両計画を統合する形で妥協に至りました。この妥協は「コネチカット妥協(大妥協)」として知られています。

具体的には、下院では人口に比例した代表制を採用し、上院では各州が平等に代表を持つという二院制の仕組みが確立されました。この枠組みこそが、合衆国憲法の骨格となったのです。

まとめ

バージニア計画とニュージャージー計画は、それぞれ大州と小州の利害を反映した対立する提案でしたが、最終的には互いの長所を取り入れた妥協案へと統合されました。この妥協の精神こそが、アメリカ合衆国憲法成立の鍵となったといえるでしょう。