北米の歴史

ケルビン卿はどこに住んでいましたか?生涯とゆかりの地を徹底解説

ケルビン卿の出生地:アイルランド・ベルファスト

ケルビン卿(本名:ウィリアム・トムソン)は、1824年6月26日にアイルランド島のベルファストで生まれました。父親は数学者であり、当時ベルファストで教職に就いていたため、ウィリアムは幼少期の一時期をこの街で過ごしました。

人生の大半を過ごしたスコットランド・グラスゴー

しかし、ケルビン卿が人生の大部分を過ごしたのはスコットランドのグラスゴーです。母親が亡くなった1830年頃、一家は父親の転勤に伴いグラスゴーへ移住しました。父はグラスゴー大学の数学教授となり、ウィリアム自身も10歳で同大学に入学するなど、神童としてその名を知られました。

1846年には、わずか22歳という若さでグラスゴー大学の自然哲学(物理学)教授に就任し、以降53年間にわたってこの職を務め続けました。絶対温度の単位「ケルビン」にその名を残す熱力学の研究や、大西洋横断電信ケーブル事業の成功など、彼の数々の偉業はいずれもグラスゴーを拠点とした研究生活の中で生まれたものです。

晩年と逝去の地

晩年のケルビン卿は、スコットランド・エアシャー州の港町ラーズにある邸宅「ネザーホール」で暮らしていました。1907年12月17日、同地で83歳の生涯を閉じました。遺体はロンドンのウェストミンスター寺院に埋葬され、アイザック・ニュートンやチャールズ・ダーウィンなど、歴史上の偉人たちと同じ地に眠っています。

学問の枠を超えた主な公職

ケルビン卿は研究者としてだけでなく、科学界の要職も歴任しました。

  • 王立協会(ロイヤル・ソサエティ)会長:1890年~1895年
  • 英国科学振興協会会長:1871年~1872年

さらに1892年には貴族に列せられ「ケルビン男爵」の称号を授かりました。この爵位名はグラスゴー市内を流れるケルビン川に由来しており、彼とグラスゴーの深い結びつきを今に伝えています。

まとめ

ケルビン卿はアイルランドのベルファストで生まれましたが、幼少期にスコットランドへ移り住み、グラスゴーを人生の拠点として活動した科学者です。「ケルビン卿はどこに住んでいたのか」という問いに対しては、「人生の大半をスコットランド・グラスゴーで過ごした」と答えるのが最も正確といえるでしょう。