ミズーリ妥協と1850年妥協の目的
1820年のミズーリ妥協と1850年妥協は、いずれもアメリカ合衆国における自由州と奴隷州の均衡を守るために設計された歴史的な政治的妥協です。19世紀前半のアメリカでは、新たな州が連邦に加わるたびに、自由州と奴隷州の数のバランスが議会の勢力図に直結するため、南北双方が強い関心を抱いていました。
ミズーリ妥協(1820年)の内容
ミズーリ妥協では、ミズーリを奴隷州として、メインを自由州としてそれぞれ連邦に加盟させることで、上院における南北の議席数の均衡を保ちました。さらに、ルイジアナ買収地に北緯36度30分の線を引き、この線より北側では奴隷制を禁止し、南側では容認するという画期的な取り決めが行われました。これにより、今後の領土拡大に伴う奴隷制問題の基準線が定められたのです。
1850年妥協の内容
1850年妥協は、メキシコ割譲地をめぐる対立を解決するために成立しました。主な内容は以下の通りです。
カリフォルニアを自由州として加盟させた一方で、ユタ準州とニューメキシコ準州については、自由州とするか奴隷州とするかを明示せず、住民自身の判断に委ねる形で組織しました。また、逃亡奴隷法(Fugitive Slave Act)を可決し、全ての市民に逃亡奴隷の捕獲への協力を義務付けました。これは北部の人々にとって強い反発を招く条項でした。
妥協の意義と限界
これら二つの妥協は、当時としては北部と南部の間の微妙なバランスを維持する上で重要な役割を果たし、国家分裂の危機を一時的に回避することに成功しました。しかし、その一方で、奴隷制という根本的な対立を先送りにしたにすぎず、結果的にアメリカ南北戦争(1861〜1865年)の種をまくこととなりました。妥協による安定は長続きせず、やがて連邦史上最大の危機へと発展していったのです。