ジェファーソンは第一次大陸会議には出席していない
結論から述べると、トーマス・ジェファーソンは1774年にフィラデルフィアで開催された第一次大陸会議には出席していません。当時、バージニア植民地から派遣された代表団にはペイトン・ランドルフやリチャード・ヘンリー・リー、ジョージ・ワシントンらが名を連ねていましたが、ジェファーソンの姿はそこにはありませんでした。
ただし、この時期のジェファーソンも無為に過ごしていたわけではありません。彼は同年、「イギリス領アメリカ人の権利に関する概観(A Summary View of the Rights of British America)」と題する小冊子を発表し、イギリス本国に対する植民地の権利を力強く主張しました。この著作が評判となり、彼の名声は大陸会議のメンバーたちにも広まっていきました。
第二次大陸会議への参加と独立宣言の起草
ジェファーソンが大陸会議に初めて出席したのは、1775年6月に開幕した第二次大陸会議においてです。彼はペイトン・ランドルフの後任としてバージニア代表団に加わり、以降、独立運動の中心人物として活躍することになります。
そして1776年6月、ジェファーソンは「独立宣言」起草委員会の一員に選ばれ、わずか33歳で宣言本文の執筆という歴史的な役割を担いました。「すべての人間は平等に創られている」という有名な一節は、このとき彼の筆によって書き上げられたものです。
まとめ
トーマス・ジェファーソンは第一次大陸会議(1774年)には出席しておらず、その名は代議員名簿には見られません。しかし翌1775年の第二次大陸会議から参加し、1776年の独立宣言起草者として、アメリカ建国史における不動の地位を確立しました。