北米の歴史

南北戦争で北軍が勝利した主な戦いとは?連邦軍と南軍の決定的な戦闘を解説

南北戦争における北軍(北)の優位性

アメリカ南北戦争(1861年〜1865年)では、北軍(北側・連邦軍)が総じて南軍(南側・アメリカ連合国)よりも有利に戦局を進めました。その背景には、北側が南側を大きく上回る人口と工業力を有していたこと、さらにメリーランドやケンタッキーといった重要な境界州(ボーダー州)を確保していたことが挙げられます。

ここでは、北軍と南軍それぞれが勝利を収めた代表的な戦いを紹介します。

北軍が勝利した主要な戦い

アンティータムの戦い(1862年9月17日)

アメリカ史上最悪となる単日の犠牲者数を記録したこの戦いは、戦術的には引き分けに終わりましたが、ロバート・E・リー将軍による北への侵攻を阻止するという重要な戦略的成果をもたらしました。この戦いを機に、リンカーン大統領は奴隷解放予備宣言を発表しています。

ビックスバーグの包囲戦(1863年5月18日〜7月4日)

ミシシッピ川沿いの要衝ビックスバーグを巡る包囲戦で北軍が勝利した結果、ミシシッピ川の支配権が北軍の手に渡り、アメリカ連合国は東西に分断されました。

ゲティスバーグの戦い(1863年7月1日〜3日)

南北戦争の転換点とされる最大の会戦です。北軍が南軍の北侵を退けたことで、戦争の主導権は北軍へと移っていきました。

アポマトックス・コートハウス(1865年4月9日)

リー将軍率いる北バージニア軍がユリシーズ・S・グラント将軍に降伏したこの出来事により、南北戦争は事実上終結し、南軍の敗北が確定しました。

南軍が勝利した主要な戦い

第一次ブルランの戦い(第一次マナサスの戦い、1861年7月21日)

開戦初期のこの戦いで南軍が勝利したことにより、「短期決戦」を期待していた北側の楽観論は打ち砕かれ、戦争の長期化が決定的となりました。首都ワシントンD.C.への脅威も一時は現実味を帯びました。

第二次ブルランの戦い(1862年8月28日〜30日)

南軍の勝利により、バージニアへ進攻していた北軍の大規模な攻勢は一時的に頓挫しました。

フレデリックスバーグの戦い(1862年12月11日〜15日)

南軍が防御陣地を堅守し、北軍による南部の首都リッチモンド進攻の試みは一時的に阻止されました。

チャンセラーズヴィルの戦い(1863年4月30日〜5月6日)

兵力で劣る南軍がリー将軍の大胆な分割機動によって勝利を掴んだ、彼のキャリア最高傑作と称される戦いです。ただし、南軍の名将ストーンウォール・ジャクソンがこの戦いで負った傷がもとで亡くなるという代償を払いました。

結論:北軍が勝利した理由

最終的に、圧倒的な人口・工業力・鉄道網といった物的資源の優位性と、南側を海上から封じ込める「アナコンダ作戦」と呼ばれる海上封鎖の成功が、北軍の勝利を決定づけました。個々の戦闘では優れた指揮官のもとで南軍が幾度も勝利を収めましたが、長期にわたる消耗戦の中で、北軍の圧倒的な資源力が勝敗を分けたのです。