オセアニアの歴史

ハマスはどのようにしてガザの権力を握ったのか?その経緯を解説

ハマスは、単なる自由で公正な選挙の結果として権力を握ったわけではありません。同組織はまず2006年のパレスチナ立法評議会(議会)選挙で勝利を収めましたが、その後、パレスチナのもう一つの主要政治勢力であるファタハとの対立が急速に深まり、2007年半ばには武力行使によってガザ地区の実権を奪取しました。

2006年の選挙勝利と対立の激化

2006年1月に実施されたパレスチナ立法評議会選挙で、ハマスは過半数の議席を獲得し、長年パレスチナ政治を主導してきたファタハを下す番狂わせを演じました。しかし、ハマスの武装闘争路線やイスラエル承認への消極的な姿勢が国際社会から強い懸念を引き起こし、欧米諸国による支援停止などの圧力がかかりました。

こうした中、ハマスとファタハの間では連立政権の樹立と崩壊が繰り返され、両者の対立は次第に武装衝突へとエスカレートしていきました。

2007年半ば、武力による権力掌握

2007年6月、ガザ地区でハマスとファタハの間に大規模な武力衝突が発生しました。この戦闘でハマスは数日間のうちにファタハ系の治安部隊や施設を制圧し、ガザ地区全体を実力で支配下に置きました。これにより、選挙を通じた政権運営の道は閉ざされ、ハマスによる一党支配体制が確立されることとなりました。

現在も続くパレスチナの分断

それ以来、ハマスは人口過密で深刻な貧困に直面するガザ地区を実効支配し続けています。一方、パレスチナ国の唯一の正統な政府として国際的に認められているパレスチナ自治政府は、ハマスを排除した形でヨルダン川西岸地区の行政と統治を担っており、パレスチナは二つの地域に政治的に分断された状態が長く続いています。