答えはウィリアム・ウィップル(William Whipple)
奴隷貿易船の船長を務めた経験があり、アメリカ独立宣言に署名し、その後ニューハンプシャー州ポーツマスで商人として成功した人物は、ウィリアム・ウィップル(William Whipple Jr.、1731年〜1785年)です。
なお、この質問に対して「ジョン・ポール・ジョーンズ」を挙げる情報を目にすることがありますが、これは誤りです。ジョーンズは「アメリカ海軍の父」と呼ばれるスコットランド出身の海軍士官ですが、独立宣言には署名しておらず、ポーツマスで商人になったこともありません。ただし、若い頃に奴隷貿易船に乗り組んでいたことや、ポーツマスで軍艦建造を監督した縁があるため、混同されやすいようです。
海と奴隷貿易の時代
ウィップルは1731年、当時マサチューセッツ湾植民地の一部だったメイン地方のキッテリーに生まれました。10代で海に出て航海術を磨き、20代前半にはすでに船長として自らの船を指揮するまでになりました。当時盛んだった三角貿易の一環として西インド諸島やアフリカへ向かう航路に携わり、奴隷貿易船の船長も務めています。
ポーツマスでの商人生活
1759年頃、海を退いたウィップルはニューハンプシャー州ポーツマスに定住し、弟のジョセフとともに商会を立ち上げました。木材や造船資材、ラム酒などを扱う貿易商として頭角を現し、町きっての実業家の一人となります。
独立宣言への署名
独立運動が高まるなか、ウィップルはポーツマスの安全委員会のメンバーとして活動し、1776年に大陸会議のニューハンプシャー代表に選出されました。そして同年8月2日、独立宣言に署名した数少ないニューハンプシャー出身者の一人となったのです。
軍人としての活躍
独立戦争中はニューハンプシャー民兵の准将として従軍し、1777年のサラトガの戦いではイギリス軍の降伏に貢献しました。政治と軍事の両面で植民地の独立を支えた人物といえます。
奴隷の解放という決断
興味深いことに、かつて奴隷貿易に携わったウィップルは、自分が所有していた奴隷プリンス・ウィップルを自由の身に放ったと伝えられています。「自らの自由のために戦う者は、他人を束縛してはならない」という趣旨の言葉が後世に残されており、彼の思想の変化を物語るエピソードとして知られています。
晩年
戦後は再び商業活動や公職に携わりましたが、心臓疾患に悩まされ、1785年にポーツマスで54年の生涯を閉じました。市内のノース墓地には、かつて彼が解放したプリンス・ウィップルと並んで眠っています。