第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れたユダヤ人難民を、世界各国がさまざまな形で受け入れました。ここでは、戦時中に一定規模のユダヤ人難民を受け入れた主な国と、その受け入れ状況をご紹介します。
アメリカ合衆国
1933年から1945年にかけて、20万人以上のユダヤ人難民がアメリカに入国しました。大戦期間中における最大の受け入れ国の一つであり、多くの避難民に新たな生活の場を提供しました。
イギリス
第二次世界大戦中、約10万人のユダヤ人難民がイギリスで保護されました。なかには多くの子どもたちも含まれており、彼らの安全な避難先として重要な役割を果たしました。
スイス
永世中立国として知られるスイスにも、4万5,000人以上のユダヤ人難民が避難しました。中立政策を維持しながらも、隣国から逃れてきた多くの人々を受け入れたのです。
フランス
1940年にナチス・ドイツによる占領を受けるまでの間、フランスは約3万5,000人のユダヤ人難民に避難の場を提供しました。占領前の時期としては、欧州内で重要な受け入れ国でした。
ポルトガル
ポルトガルは、大戦中に3万人以上のユダヤ人難民の入国を認めました。特に注目すべきは、外交官アリスティデス・デ・ソウザ・メンデスの活躍です。彼は本国政府からの中止命令に反してでも、フランス国内のユダヤ人難民に対しビザを発行し続け、数多くの命を救いました。
チリ
南米のチリでは、1938年にユダヤ人難民向けの移民政策が緩和されたことをきっかけに、戦時中に約2万人の難民を受け入れました。
中国(上海)
中国にも2万人以上のユダヤ人難民が避難しました。特に上海は戦時中におけるユダヤ人難民の主要な拠点となり、「上海ゲットー」と呼ばれる地域で多くの避難民が生活を営みました。ビザなしで入国できたこともあり、世界中から逃れてきた人々が集まりました。
ドミニカ共和国
ドミニカ共和国は、1940年に移民政策を緩和した後、約1万人のユダヤ人難民を受け入れたことで知られています。エビアン会議で難民受け入れを表明した数少ない国の一つでもあります。
カナダ
カナダは全体的に制限的な移民政策を採っていましたが、それでも5,000人以上のユダヤ人難民が同国に避難することができました。
このように、各国の事情や政策の違いにより受け入れ規模には大きな差がありましたが、多くの国が迫害から逃れるユダヤ人に避難の場を提供しました。当時の難民問題の歴史は、今日の国際社会における難民支援を考えるうえでも、貴重な教訓となっています。