オセアニアの歴史

イギリスは西インド諸島へ何人の奴隷を送り出したのか?大西洋奴隷貿易の実態

17世紀から19世紀にかけて、イギリスは推定約310万人のアフリカ人をカリブ海地域(西インド諸島)および北米の植民地へ移送したとされています。この数字は、大西洋を越えた三角貿易の歴史の中で、イギリスが最大の奴隷輸送国の一つであったことを示しています。

大西洋三角貿易の仕組み

イギリスが主導した三角貿易は、三つの航路で構成されていました。まず、イギリスから西アフリカへは綿製品、銃器、金属製品などの工業品が運ばれました。次に、その商品と引き換えに捕らえられたアフリカ人たちは、過酷な「中間航路(Middle Passage)」と呼ばれる航海で新大陸へ強制的に移送されました。最後に、カリブ海やアメリカ植民地で生産された砂糖、タバコ、綿花などの農産物がヨーロッパへ持ち帰られました。

中間航路の悲惨な実態

奴隷船での航海は数週間から数か月に及び、狭い船倉にぎゅう詰めにされた人々は劣悪な衛生環境、栄養失調、病気の蔓延に苦しみました。航海中の死亡率は非常に高く、多くの人が海を渡ることさえできませんでした。この非人道的な交易は、当時の経済的利益のために容認されていたのです。

主な輸送先

イギリスが運んだ奴隷の多くは、ジャマイカ、バルバドスなど西インド諸島の砂糖プランテーションで働かされました。また、北米の南部植民地(後のアメリカ合衆国)にも相当数が送られ、タバコや綿花の栽培に従事させられました。

奴隷貿易の終焉

18世紀後半になると、イギリス国内で廃止運動が盛り上がりを見せます。ウィリアム・ウィルバーフォースらの活動により、1807年に奴隷貿易法が成立し、イギリスは大西洋奴隷貿易を違法化しました。さらに1833年には奴隷制廃止法が可決され、大英帝国全域での奴隷制が段階的に廃止されました。しかし、それまでの300年以上にわたる貿易がもたらした被害と影響は計り知れず、今日でもその歴史的評価と償いについて議論が続いています。