第一次世界大戦前のヨーロッパは、二つの大きな陣営に分かれていました。ひとつは「三国協商」、もうひとつは「三国同盟」です。それぞれどの国が参加していたのか、その成立背景とあわせてわかりやすく解説します。
三国協商(英仏露)とは
三国協商は、イギリス、フランス、ロシアの3か国によって形成された、比較的緩やかな連合関係です。この協商は、当時ヨーロッパにおいて急速に軍事力と影響力を拡大していたドイツへの警戒感から生まれたものです。正式な軍事同盟というよりは、植民地問題などをめぐる対立を調整しながら結ばれた協力関係でした。
- イギリス: 1904年の英仏協商、1907年の英露協商を経て、フランス・ロシアとの関係を強化
- フランス: 1894年の露仏同盟以来、ロシアと連携してドイツに対抗
- ロシア: バルカン半島をめぐる利害から、オーストリア=ハンガリーと鋭く対立
三国同盟(独墺伊)とは
一方の三国同盟は、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、イタリアによる正式な軍事同盟で、1882年に締結されました。これは防衛を主目的とした同盟であり、3か国のいずれかが他のヨーロッパ列強から攻撃された場合に、互いに支援し合うことを狙いとしたものでした。
イタリアの離反と第一次世界大戦
ここで注目すべきは、三国同盟の一員であったイタリアの動向です。1914年に第一次世界大戦が勃発すると、イタリアは当初中立の立場を取りました。しかし1915年、協商側から領土的譲歩(未回収のイタリア領の返還など)を約束するロンドン密約を結ばれると、協商側(連合国)として参戦することになります。結果として、かつて同盟を組んでいたはずのドイツやオーストリア=ハンガリーと戦うという、複雑な構図が生まれました。
このように、三国協商と三国同盟という二大陣営の対立構造は、サラエボ事件をきっかけとする第一次世界大戦の勃発へとつながっていきました。両陣営の構成国とその関係性を押さえておくことは、近代ヨーロッパ史を理解するうえで非常に重要です。