はじめに:戦後のヨーロッパ地図はどう変わったのか
第一次世界大戦(1914年〜1918年)の終結後、連合国と敗戦国との間で結ばれた一連の講和条約により、ヨーロッパの政治地図は大きく塗り替えられました。中でも1919年に調印されたヴェルサイユ条約は、対ドイツ講和の中心的な条約として広く知られています。
ここでよく問われるのが、「講和条約によって新たに創設されなかった国はどこか」という問題です。結論から言えば、その答えはドイツとトルコです。以下、順を追って解説します。
講和条約で新たに生まれた(独立が承認された)国々
オーストリア=ハンガリー帝国の解体やロシア革命の混乱などを背景に、次の国々が新たに建国されるか、独立を国際的に承認されました。
- ポーランド
- チェコスロバキア
- ユーゴスラビア(セルブ・クロアート・スロベーン王国)
- フィンランド
- エストニア
- ラトビア
- リトアニア
- オーストリア
- ハンガリー
これらの国々は、ヴェルサイユ条約のほか、サン=ジェルマン条約(対オーストリア)、トリアノン条約(対ハンガリー)、ヌイイ条約(対ブルガリア)といった一連の平和条約の中で、国家としての地位を確立していきました。
「新たに創設された」わけではない国
ドイツ
ドイツはヴェルサイユ条約の最大の対象国ですが、1871年以来続いてきた国家が消滅し、新たに作り直されたわけではありません。領土の縮小、軍備の制限、莫大な賠償金の負担など厳しい条件を課されながらも、ワイマール共和国として国家は継続しました。
トルコ
トルコも同様に、講和条約によってゼロから「創設」された国ではありません。オスマン帝国の解体に伴い、ケマル・アタテュルク率いる国民運動の勝利を経て、1923年のローザンヌ条約により現代のトルコ共和国が国際的に承認されました。これは帝国の継承国家としての性格が強く、連合国が当初想定したセーヴル条約による分割案とは大きく異なる結果となりました。
まとめ
第一次世界大戦後の平和協定の中心はヴェルサイユ条約ですが、実際には複数の講和条約が組み合わさることで、新しい国際秩序が形づくられました。ポーランドやチェコスロバキアをはじめ多くの新国家が誕生した一方で、ドイツとトルコは「新たに創設された国」ではなく、既存の国家が再編・承認された形であるという点を押さえておきましょう。