オセアニアの歴史

オーストラリアのかつての名称を徹底解説|「ニューホランド」から「テラ・アウストラリス」まで

現在「オーストラリア」と呼ばれるこの大陸には、ヨーロッパ人の探検と地図作成の歴史の中で、実にさまざまな名称が与えられてきました。オランダ、スペイン、イギリスなど、時代ごとの探検者たちがそれぞれの視点でこの南の大地を命名したのです。ここでは、オーストラリアのかつての主な名称を年代順にご紹介します。

テラ・アウストラリス・インコグニタ(Terra Australis Incognita/1521年)

最も古くから知られている名称の一つが「テラ・アウストラリス・インコグニタ」で、日本語では「未知の南方大陸」と訳されます。古代ギリシャ以来、北半球との均衡を保つために南にも巨大な大陸が存在するはずだという想像上の概念であり、16世紀初頭のヨーロッパの地図には、まだ詳細が確認されていないまま、この伝説的な南方大陸が描かれていました。

オーストラリア・デル・エスピリトゥ・サント(Australia del Espiritu Santo/1522年)

1522年頃、スペイン人探検家たちによって付けられた名称です。「聖霊の南の大地」という意味を持つこの名前は、スペイン勢力による太平洋探検の時代を物語るものとして知られています。

テラ・アウストラリス(Terra Australis/1642年)

オランダの探検家アベル・タスマンが1642年に南洋へ航海を行った際に用いた名称です。「南の大地」というラテン語に由来し、後の「Australia」という国名の語源ともなりました。

ニューホランド(New Holland/1644年)

1644年、オランダ東インド会社の探検家たちによって、当時の母国にちなんで「新しいホラント(オランダ)」という意味の「ニューホランド」と名付けられました。18世紀末にイギリス人が入植するまで、この名称はヨーロッパの地図で広く使用され続けました。

グレート・サウス・ランド(Great South Land/17〜18世紀)

17世紀から18世紀にかけて、英語圏では「大いなる南方の大地」を意味する「グレート・サウス・ランド」という呼び方が一般的でした。未知の豊かな大陸への憧れを表す名称として、航海者や地理学者の間で親しまれていました。

まとめ

オーストラリアの旧称は、単なる地名以上に、ヨーロッパ諸国による探検・植民の歴史そのものを映し出しています。「未知の南方大陸」という伝説から始まり、オランダ、スペイン、そしてイギリスへと名称が移り変わっていく過程は、世界史の大きな流れを感じさせてくれる興味深いテーマといえるでしょう。