第二次世界大戦後に中東を分割したのは、特定の「2つの国」が突如として行った行為というより、戦前からこの地域を支配していたイギリスとフランスという二つの植民地大国の影響によるものです。今日の中東諸国の国境線の多くは、当時この二国が引いた線をそのまま受け継いだ結果なのです。
オスマン帝国の崩壊と委任統治の始まり
第一次世界大戦でオスマン帝国が敗北し崩壊すると、かつて同帝国が支配していた広大な中東地域の処遇が国際的な課題となりました。1920年、国際連盟はイギリスとフランスに対し、この地域を管理する「委任統治」を認めます。イギリスはパレスチナ(現在のイスラエル・パレスチナ・ヨルダン)とイラク、フランスはシリアとレバノンの統治権をそれぞれ獲得しました。
サイクス・ピコ協定が残した国境線
実は、この地域の分割構想はさらにさかのぼり、大戦中の1916年にイギリスとフランスが極秘裏に結んだサイクス・ピコ協定に至ります。両国は現地の民族構成や宗教分布をほとんど考慮せず、自国の利益を最優先に領域を分割しました。そのため、同じ民族や宗派の人々が複数の国に分断されるといった不合理な境界線が数多く生まれ、後の紛争の火種となることになりました。
第二次世界大戦後の独立と現代への影響
第二次世界大戦後、世界的な脱植民地化の流れの中で、これらの委任統治領は次々と独立国家へと移行していきました。しかし、独立の際に採用された国境線は、ほぼそのまま植民地時代にイギリスとフランスが引いた線であり、住民の意思や地理的条件に基づいて再検討されることはほとんどありませんでした。
こうした経緯から、現在の中東諸国の国境は、自然な地理的区分や民族的境界ではなく、過去の植民地分割の名残を色濃く反映しています。この歴史的背景は、シリア内戦やイラクの政治的混乱など、現代の中東における多くの紛争と不安定の一因であると指摘されています。