第二次世界大戦中、オーストラリアとアメリカは極めて密接かつ協力的な関係を築きました。日本の真珠湾攻撃により太平洋戦争が勃発すると、オーストラリアはアメリカにとって太平洋戦域における最も重要な同盟国の一つとなり、両国は日本に対抗するため肩を並べて戦うことになりました。
太平洋戦域における軍事協力
1942年5月の珊瑚海海戦では、アメリカ海軍とオーストラリア海軍が共同で日本軍の進撃を食い止め、史上初の空母同士の決戦として歴史に名を刻みました。その後もニューギニア戦線やフィリピンの戦いなど数多くの作戦において、両国の将兵が共闘しました。特にココダ・トラック沿線での戦いでは、オーストラリア軍が日本軍の南進を阻止し、連合軍の反攻への足がかりを築いたことは特筆に値します。
また、アメリカはオーストラリアに対して多大な財政的・軍事的支援を提供しました。ダグラス・マッカーサー元帥はフィリピン陥落後にオーストラリアへ拠点を移し、メルボルンやブリスベンが南西太平洋方面の連合軍司令部として機能しました。アメリカの艦船、航空機、装備はオーストラリア軍によって広範に活用され、オーストラリア本土は連合軍の重要な補給基地となったのです。
同盟関係に潜んでいた摩擦
しかし、両国の関係が常に順風満帆だったわけではありません。オーストラリアの指導者たちは、アメリカ側の傲慢さや配慮の欠如と受け取れる態度にしばしば苛立ちを覚えていました。オーストラリアとしては自国なりの戦争への貢献を果たしたいという強い意欲がありましたが、アメリカの指揮官たちがオーストラリア軍をあくまで二線級の部隊として扱う場面も少なくなかったのです。
さらに、アメリカが圧倒的な資源と兵力を戦争に投入できる一方で、人口の少ないオーストラリアにはそれができないことへの複雑な感情もありました。自国の防衛を他国に依存せざるを得ない状況は、オーストラリア人の誇りを刺激するものでした。また、駐留アメリカ兵の存在が現地社会に与える影響をめぐって、「友好的な占領」と揶揄されるほどの文化的衝撃が生じたことも知られています。
共通の目的が結んだ永続的な絆
こうした摩擦はあったものの、両国の関係は終戦まで強固なものであり続けました。日本を打ち倒すという共通の目的を掲げる両国は、目標達成のためには互いが必要不可欠であることを痛感していたのです。オーストラリアとアメリカの協力は、太平洋における連合軍の勝利に不可欠な要素であり、戦後の両国関係にも深い影響を残しました。
実際、この戦時中の協力関係は1951年に締結された日米豪などが参加するANZUS安全保障条約へとつながり、今日に至るまで続く両国の同盟関係の礎となりました。戦火の中で培われた信頼は、単なる軍事同盟を超えた持続的な友好関係として、現在も両国の外交の基盤であり続けています。