はじめに:クックの来航と先住民との接触
1770年、ジェームズ・クック船長は探査船エンデバー号に乗り、オーストラリア東海岸に到達しました。この航海は、ヨーロッパとオーストラリア先住民(アボリジニ)との本格的な接触の起点となった出来事です。しかし、この接触と同時に懸念されるのが「外来の病気」の持ち込みでした。長い間、大陸で隔絶された生活を送ってきた先住民は、ユーラシア由来の感染症に対する免疫を持っていなかったのです。
持ち込まれた可能性のある病気
天然痘・インフルエンザ・麻疹
キャプテン・ジェームズ・クックがオーストラリアに病気を持ち込んだという決定的な証拠は存在しません。しかし、彼が意図せずして天然痘、インフルエンザ、麻疹などの感染症を先住民に伝えてしまった可能性は指摘されています。これらの病気に対する自然免疫を持たなかった先住民にとって、それらは壊滅的な打撃となりえたのです。
実際、1788年のファースト・フリート(最初の入植船団)到着から約1年後の1789年には、シドニー周辺で大規模な天然痘の流行が記録されており、多くの先住民が命を落としたと考えられています。この流行の起源については、ヨーロッパ人入植者が持ち込んだウイルスによるものか、あるいは北岸部で交易を行っていたマカッサル商人経由で伝播したものかなど、現在も歴史家の間で議論が続いています。
性感染症
さらに、クックの乗組員たちが性感染症を含むその他の病気を持ち込んだ可能性もあります。こうした疾患は不妊症やさまざまな健康被害を引き起こし、先住民の人口動態や社会構造に負の影響を与ええたとされます。
確定的な証拠は存在しない
とはいえ、クック本人がオーストラリアへの病原体導入の直接の責任者であることを裏付ける証拠はない点に留意が必要です。病気の流入は、その後のヨーロッパ人探検家の来航や入植者の増加、あるいは他国との交易ルートなど、別の要因によるものだった可能性も十分にあります。
まとめ
クックの来航がオーストラリア先住民の健康と生存に重大な転換点をもたらしたことは疑いありません。しかし、具体的にどの病気が、いつ、誰の手によって持ち込まれたのかについては、依然として明確な答えが出ていないのが実情です。ヨーロッパとの接触後に先住民人口が劇的に減少したという歴史的事実は、免疫のない集団にとって外来感染症がいかに致命的でありうるかを雄弁に物語っています。