フランシス・ドレークとは
フランシス・ドレーク(Francis Drake、1540年頃~1596年)は、エリザベス1世時代のイングランドを代表する探検家・航海者・私掠船長です。生涯を通じて数々の歴史的な航海を行い、その功績はイングランド海洋帝国の礎を築きました。ここでは、ドレークの主な航海日程を年表形式でご紹介します。
1. 1567年~1568年:初のカリブ海遠征
ドレークは従兄にあたるジョン・ホーキンスの艦隊に加わり、初めてカリブ海へ向かいました。しかし帰路、メキシコのサン・フアン・デ・ウルアでスペイン艦隊の奇襲を受け、艦隊は壊滅的な打撃を被ります。この屈辱的な経験が、ドレークの生涯にわたるスペインへの敵意の原点となりました。
2. 1572年~1573年:パナマ襲撃と銀の略奪
ドレークはパナマ地峡のスペイン拠点を襲撃し、ノンブレ・デ・ディオス港への攻撃や、ペルーから運ばれる銀を積んだラバの隊列(シルバー・トレイン)の捕獲に成功します。この活躍により一躍名を上げ、パナマの高地から太平洋を初めて望んだ際、将来の世界周航を心に誓ったと伝えられています。
3. 1577年~1580年:世界周航の偉業
1577年12月13日、ドレークは旗艦「ゴールデン・ハインド」を含む5隻の艦隊を率いてプリマス港を出航しました。
- マゼラン海峡を通過し、フェルディナンド・マゼランに次ぐ達成者となります。
- 南米太平洋岸を北上しながらスペインの港を次々と襲撃し、大量の銀や財宝を奪取。
- 北米西岸へ進み、現在のカリフォルニアに到達した最初のイングランド人となります。
- モルッカ諸島(香料諸島)を経由してインド洋を横断し、アフリカ南端の喜望峰を回って、1580年9月26日にイングランドへ凱旋しました。
この世界周航により、ドレークは史上2番目となる地球一周遠征を成し遂げた艦長となり、エリザベス1世からナイト爵位を授けられました。
4. 1585年~1586年:カリブ海遠征
女王の支援のもと、ドレークはアメリカ大陸のスペイン領を攻撃し、貿易網を撹乱する大胆な遠征を実施しました。カリブ海および中米・南米沿岸の複数の港や入植地を攻略し、特に現在のコロンビアにあるカルタヘナへの強襲は大きな成功を収めます。1586年に帰国したドレークは莫大な戦利品をもたらし、国民の対スペイン感情を大きく高揚させました。
5. 1587年:「スペイン王の髭を焦がす」カディス襲撃
1587年、ドレークはスペイン南部の主要港カディスを奇襲し、無敵艦隊のために集結していた船舶や物資を焼き討ちにしました。この果敢な作戦は「スペイン王の髭を焦がす(Singeing of the King of Spain's Beard)」と称され、無敵艦隊の侵攻を約1年遅らせる効果を上げました。
6. 1588年:スペイン無敵艦隊との決戦
スペインとの緊張が極限に達する中、エリザベス1世はドレークを副提督に任命し、チャールズ・ハワード卿率いるイングランド艦隊の指揮を託しました。ドレークは戦術の立案と艦隊運用で重要な役割を果たし、イングランド軍は強大なスペイン無敵艦隊を見事に打ち破り、海上覇権を確立したのです。
まとめ
以上がフランシス・ドレークの主な航海と日程です。これら以外にも彼は生涯を通じて数多くの遠征を行い、エリザベス朝を代表する探検家・航海者・私掠船長としての名声を確立しました。1596年には最後の遠征先であるカリブ海ポルトベロ沖で病に倒れ、海に水葬されたと伝えられています。