南アメリカの歴史

1967年憲法(ブラジル):軍事政権下で制定された憲法の歴史と特徴

1967年憲法は、ブラジルにおける4番目の大憲章であり、共和制時代としては3番目にあたる憲法です。

この憲法は軍事政権期に起草され、1967年3月15日に施行されました。

歴史的背景

1967年憲法(ブラジル):軍事政権下で制定された憲法の歴史と特徴

新憲法案を担当した法律家たちが、1966年8月19日、草案をカステロ・ブランコ大統領に提出した様子。左から順に、レヴィ・カルネイロ、カステロ・ブランコ、テミストクレス・カヴァウカンティ、オロジンボ・ノナート、そしてメデイロス・ダ・シウヴァ司法大臣。

1960年代のラテンアメリカでは、一連の軍事クーデターによって民主政権が次々と打倒されました。キューバ革命以降、共産主義が大陸全体に広がることを懸念したアメリカ合衆国は、地域の多くの軍事政権を直接的・間接的に支援しました。

ブラジルでは、右派勢力と軍部が結束し、ジョアン・ゴウラルト大統領の打倒を目指しました。「国際共産主義を国内に導入しようとしている」と非難された同大統領は、1964年4月1日に失脚し、ここに1985年まで続く軍事独裁政権の時代が幕を開けたのです。

1967年憲法の制定過程

一部の独裁政権とは異なり、ブラジルの軍事政権は統治の正常な外観を保とうとし、国民議会は2年間にわたり開会されたまま維持されました。

軍部とその支持者たちが政治の主導権を握っていたものの、政府は新しい憲法の制定を望んでいました。その狙いは、1964年以降に発布されてきた各種の制度法(インスティトゥショナル・アクト)を憲法本文に組み込むことにありました。

1966年、政府は司法大臣カルロス・メデイロス・シウヴァ、および法律家フランシスコ・カンポス、レヴィ・カルネイロ、テミストクレス・カヴァウカンティ、オロジンボ・ノナートらによって起草された憲法案を公表しました。

しかし、野党MDB(ブラジル民主運動党)や与党ARENAからの抗議を受け、政府は議会を再開し、1966年12月12日から1967年1月24日にかけて、新憲法の審議と採決を行うため国会を招集しました。

最終案は大きな修正もなく、両院議員によって承認されました。この憲法は制憲議会によって起草されたものではないため、「付与憲法」に分類すべきだとする論者が多くいます。一方で、国民議会による承認があれば「民定憲法」とみなせるとする研究者も存在します。

1967年憲法の特徴

1967年憲法(ブラジル):軍事政権下で制定された憲法の歴史と特徴

1967年3月16日付『Jornal do Brasil』紙の一面。

冷戦の論理のもと、この憲法は国家安全保障、連邦および共和国大統領の権限強化といったテーマを重視しました。また、個人の自由の縮小や、国家による憲法上の権利・保障の停止も盛り込まれました。

共和制という統治形態は維持され、連邦首都は引き続きブラジリアとされました。

行政・立法・司法の三権分立は形式的には維持されたものの、意思決定の実権は行政府に集中しました。それまで国家を統治してきた第1号、第2号、第3号の制度法(AI)も取り込まれました。

以上を踏まえると、1967年憲法の主なポイントは以下の通りです。

  • 大統領は選挙人団による間接選挙で、公開の場において4年の任期で選出される。
  • 行政府による政治権利の剥奪(カササン)と停止が可能となる。
  • 二大政党制が確立される。
  • 州知事と市長の選挙は間接選挙と定められる。
  • 国家安全保障に対する罪には死刑が科される。
  • ストライキの権利が制限される。
  • 軍事裁判所の管轄が拡大され、特別裁判権が一般市民にも及ぶようになる。

その後、1968年にはAI-5(第5号制度法)が発布され、以下の内容が定められました。

  • 行政府による議会の閉鎖。
  • 報道機関に対する事前検閲。
  • 州・自治体への軍事介入。
  • 国家安全保障に対する罪を犯した市民の市民的・政治的権利の停止。

1967年憲法の終焉

1967年憲法は、軍事政権の終結とともに廃止されました。

1986年には、制憲議会を構成する連邦議員が選出され、復活した民主主義体制に基づく新しい憲法が策定されました。

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