南アメリカの歴史

ペドロ・アルヴァレス・カブラル:1500年にブラジルを「発見」したポルトガルの航海者

ペドロ・アルヴァレス・カブラル(Pedro Álvares Cabral)は、1500年に現在のブラジルにあたる土地へ到達したことで知られる、ポルトガルの航海者・探検家です。インドを目指す第二次遠征隊を指揮した彼は、その途上で南米の海岸に足を踏み入れ、ブラジルに到達した最初のヨーロッパ人とされています。

生い立ちと家系

カブラルは1467年、ポルトガルのベイラ・バイシャ地方にあるベルモンテ城で生まれました。彼の家系であるカブライエ家(Cabrais)は、古くから続く裕福なポルトガル貴族の一族でした。

この一族は、マケドニアの伝説的な初代王とされるカラヌスの血筋を引くとされ、さらにそのカラヌスはギリシャ神話の半神ヘラクレスの子孫だと信じられていました。

カブライエ家の紋章は、銀色の地に2頭の紫色の山羊が描かれたもので、「カブラル」という姓の由来ともなっています。紫は忠誠心を、山羊は謙虚さを象徴しているといわれます。

ペドロ・アルヴァレス・カブラル:1500年にブラジルを「発見」したポルトガルの航海者

若き日のカブラルは内陸の地方に移り住み、アフォンソ5世の宮廷教師たちのもとで人文諸学や武術・戦術などの教育を受けました。16歳のとき、ジョアン2世によって貴族に列せられたことが、彼の出世の出発点となります。その後、彼はポルトガルの軍司令官・航海者・探検家として頭角を現していきました。

カブラルは航海術と外交の両面で豊富な経験を積みましたが、最大の功績を成し遂げた後は、ヴァスコ・ダ・ガマに国王の寵愛を譲り、公の舞台から身を引きました。

私生活ではイザベル・デ・カストロと結婚し、晩年を過ごしたサンタレンで1520年に亡くなりました。死因については明らかになっていません。

興味深いことに、カブラルの業績はその後数世紀にわたって忘れ去られていました。19世紀、ブラジル独立後になってようやく、歴史学に造詣の深かった皇帝ペドロ2世自身の手によって、その功績が再評価されることになります。なお、カブラルが意図的にブラジルを「発見」したのか、それとも記録が示すように偶然だったのかについては、今日でも歴史学者の間で見解が分かれています。

ペドロ・アルヴァレス・カブラルの主な功績

1498年にヴァスコ・ダ・ガマがインドへの到達に成功すると、東方への新航路がもたらす利益の可能性が一気に現実味を帯びました。

こうして1500年、カブラルはマヌエル1世からインドへの第二次遠征隊の指揮を命じられます。当時33歳だった彼は、13隻の船と1,000人以上の乗員からなる大船団を率いて出航しました。

ちなみにその数年前の1492年には、クリストファー・コロンブスがすでにアメリカ大陸に到達していました。

カブラルの艦隊は9月15日にインドのカリカット(コーリコード)に到着しましたが、そこで現地勢力との武力衝突に巻き込まれることになります。

ペドロ・アルヴァレス・カブラル:1500年にブラジルを「発見」したポルトガルの航海者

現地の勢力は鎮圧されましたが、その代償として複数の船が失われました。その中には、喜望峰回りの航路を初めて切り開いたことで名高いバルトロメウ・ディアスの船も含まれており、彼自身もこの遠征の途上、喜望峰付近の暴風雨で命を落としたと伝えられています。

しかし、人的被害や船舶の損失にもかかわらず、カブラルの遠征は全体として成功と評価されました。それは、香辛料交易という新しい航路がもたらす莫大な利益が見込めたからです。

この事業の目的は、香辛料取引で巨利を得ていたイタリア商人やアラブ商人の独占を打破すると同時に、インドにおいて商業・外交関係を築き、強化することにありました。

ブラジルの発見

ヴァスコ・ダ・ガマの助言をもとに喜望峰を回ろうとしたカブラルは、あの有名な「南西への大迂回」を行いました。この進路変更が意図的なものだったのか、それとも海流や嵐によるものだったのかは、研究者たちの間で長く議論されてきたテーマです。そして1500年4月22日、カブラルはブラジル沿岸に到達します。この出来事が、ブラジルの「発見」として歴史に記録されました。

バヒア州の海岸近くにそびえる山並みにちなみ、この土地は当初「モンテ・パスコアウ(復活祭の山)」と名付けられました。

ただし、当時のポルトガル人は東方への交易路の確保に関心を向けていたため、新たに発見されたこの領土にはさほど価値を見出していませんでした。

注目すべきは、この新領土がトルデシリャス条約で定められたポルトガル側の勢力圏内にあったという点です。これによりポルトガル王室は、この地への権利を正当に主張することができました。

ブラジルに到達した同年、カブラルは艦隊随一の航海者ガスパル・デ・レモスに指揮させた船を直ちにポルトガルへ派遣し、発見の報告を国王に届けさせています。

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