ミズーリ妥協案に南部諸州が反対した理由
1. 奴隷制の維持
南部諸州は奴隷制という制度を強く支持しており、それを自らの経済と社会構造に不可欠なものと考えていました。ミズーリ妥協は、ミズーリを奴隷州として認める一方、メインを自由州として認めることでバランスを図るものでしたが、南部にとっては将来の政治的権力や経済的利益を脅かす危険をはらんだ計画でした。
2. 憲法上の権利と州の主権
南部諸州は、憲法が連邦政府に対して新しい州における奴隷制を制限する権限を明確に与えていないと主張しました。彼らは「州の権利」を掲げ、州境内部における奴隷制の合法性を含む内政は、各州自身が決定すべきであると主張したのです。
3. 議会および選挙人団における勢力均衡
新たな自由州や奴隷州の加盟は、議会と選挙人団における微妙な勢力バランスを崩しかねませんでした。ミズーリを奴隷州として認めることは南部の政治的発言力を強化する一方、国政の意思決定における北部の影響力を弱めるものと見なされていました。
南部の懸念に応えた妥協の内容
1820年に成立したミズーリ妥協は、南部諸州の懸念に対応するため、以下の重要な条項を含んでいました。
- ミズーリを奴隷州として、メインを自由州として認める:これにより上院における南北の平等な代表が確保されました。
- 北緯36度30分(ミズーリ州の南側境界線)に分割線を設定:この線が、今後の新領土における奴隷州と自由州の境界を決定することになりました。線より北は自由州、南は奴隷州となるルールです。
- 北緯36度30分以北のルイジアナ買収領土では奴隷制を禁止(ミズーリを除く):この譲歩は、新領土への奴隷制拡大を制限することで北部側を宥和する狙いがありました。
ミズーリ妥協は、奴隷制という深刻な対立問題に向き合いながら、国家の平和と安定を維持しようとした繊細なバランス調整でした。しかし、これはあくまで一時的な解決策にすぎず、奴隷制をめぐる緊張はその後も高まり続け、最終的には南北戦争へとつながっていきました。