「1862年6月25日に北軍のジョージ・B・マクレラン(George B. McClellan)将軍が増援を要請した」という記述を目にすることがありますが、これは史実とは異なります。同日にマクレラン将軍が増派を求めたという記録は存在しません。
実際には6月前半に2回の増援要請
ただし、マクレラン将軍が増援を一切求めなかったわけではありません。同じ月の前半、彼は2度にわたって追加兵力の派遣を要請していました。しかし、リンカーン大統領およびスタントン陸軍長官は、いずれの要請も承認せず却下しています。
要請が容れられなかった背景
当時、マクレラン率いるポトマック軍は、バージニア半島から南軍の首都リッチモンド攻略を目指す「半島戦役」の真っ只中にありました。しかし政府側には、首都ワシントンの防衛を手薄にできないという強い懸念がありました。さらに、「ストーンウォール」ジャクソン中将がシェナンドー渓谷で展開していた機動的な攻勢もあり、東部戦線へ新たな兵力を割くことには慎重だったのです。こうした事情が重なり、マクレランの増援要請は受け入れられませんでした。
なお、6月25日は「七日間の戦い」の初戦となるオークグローブの戦いが始まった日でもあります。マクレランにとって増援不足が深刻に響き始めた、極めて緊迫した時期であったことは注目に値します。