ジム・クロウ法には、特定の「廃止日」が存在しません。これは、ある日突然に廃止されたのではなく、連邦最高裁判所の判決と連邦議会の立法措置によって、数十年にわたり段階的に解体されていったためです。
ジム・クロウ法とは何か
ジム・クロウ法とは、19世紀末から20世紀半ばにかけて、主にアメリカ南部诸州で施行された、人種隔離(人種差別的な分離)を制度化した法律群の総称です。公共交通機関、学校、レストラン、トイレなど、公共施設における黒人と白人の分離が法的に義務付けられていました。
最高裁判決による転換点
ジム・クロウ体制の崩壊の始まりとなったのは、1954年の「ブラウン対教育委員会裁判」です。最高裁判所はこの判決において、「分離すれども平等」という原則を確立した1896年の「プレッシー対ファーガソン裁判」の判例を覆し、公立学校における人種隔離を違憲と判断しました。
公民権運動と連邦立法
1950年代から60年代にかけて盛り上がった公民権運動は、法的変革を後押ししました。その結果として成立した主要な法律は以下の通りです。
- 1964年公民権法:公共施設における人種差別を禁止し、雇用差別も違法としました。
- 1965年投票権法:黒人からの投票権奪取を目的とした各種の障壁を撤廃しました。
- 1968年公正住宅法:住宅販売・賃貸における人種差別を禁止しました。
まとめ
つまり、ジム・クロウ法の廃止は単一の日付で示されるものではなく、1954年のブラウン判決から1960年代の一連の公民権法制まで、約15年間にわたる司法と立法による漸進的なプロセスだったのです。