南部は西部の安い土地に反対したのか?
結論から言えば、南部は西部の安価な土地という構想に反対していません。むしろ、多くの南部の人々はこの構想を支持していました。安い土地が手に入れば、綿花などを生産するプランテーション(大農園)を西部へ拡大でき、さらなる富の蓄積につながると考えていたからです。
反対したのは一部の北部の人々
一方で、西部の安価な土地に反対の立場を取ったのは、主に北部の一部の人々でした。彼らが懸念したのは、新しい領土へ奴隷制が拡大することでした。奴隷労働に依存したプランテーション経済が西部に広がれば、自由な労働者による開拓の機会が奪われるだけでなく、連邦議会における南部の勢力も強まると恐れたのです。
南北対立の深まりと南北戦争への道
このように、西部の土地政策と奴隷制の存続・拡大をめぐる見解の相違は、南北間の対立を深める重大な要因となりました。ミズーリ妥協(1820年)やカンザス・ネブラスカ法(1854年)など、新領土の扱いをめぐる妥協と衝突が繰り返されるなかで、両者の溝は埋まらぬまま拡大していきました。
こうした対立の積み重ねが最終的に南北戦争(1861年〜1865年)の勃発へとつながったのです。つまり「西部の安い土地」をめぐる問題は、単なる土地政策の議論にとどまらず、アメリカ合衆国の将来を左右する国家的な争点だったといえます。