南アメリカの歴史

ミズーリ妥協(1820年)の背景:奴隷制をめぐる南北の対立点とその解決策

ミズーリ妥協(1820年)とは

1820年に成立したミズーリ妥協は、新たに獲得した領土における奴隷制の問題をめぐって対立していた北部諸州と南部諸州の緊張を一時的に和らげた、歴史的な合意です。この対立が表面化したのは1819年、ミズーリが奴隷州として連邦への加盟を申請したときでした。当時の上院では自由州と奴隷州の勢力が微妙な均衡を保っていたため、この申請は重大な政治問題へと発展しました。

南北間の主な対立点

1. ミズーリの州としての扱い

北部諸州:ミズーリを自由州として加盟させ、上院における自由州と奴隷州の均衡を維持することを求めました。

南部諸州:奴隷州としての加盟を強く主張し、奴隷制に結びついた自らの政治的権力と経済的利益を守ろうとしました。

2. 新領土への奴隷制の拡大

北部諸州:ルイジアナ買収で獲得した新領土への奴隷制拡大に反対しました。南部の政治的影響力が増大することや、「自由労働」の原則が損なわれることを懸念したためです。

南部諸州:新領土への奴隷制拡大の権利を要求しました。奴隷制への制限は、農業とプランテーション労働に基づく南部の生活様式や経済体制を脅かすと考えたからです。

3. 議会における代表権

北部諸州:新しい奴隷州を自由州とのバランスなしに追加すれば、下院や選挙人団において南部が不釣り合いなほど大きな権力を持つことになると主張しました。

南部諸州:新領土での奴隷制への制限は憲法上の権利の侵害であり、連邦政府における平等な代表権を否定するものだと受け止めていました。

解決策としてのミズーリ妥協

高まる緊張を収めるため、連邦議会は1820年にミズーリ妥協を成立させました。その主な内容は以下の通りです。

  • ミズーリを奴隷州として、メインを自由州として加盟させ、上院では自由州12・奴隷州12という均衡を維持しました。
  • 北緯36度30分より北のルイジアナ買収地域では、将来ミズーリ州となる地域を除き、奴隷制を禁止しました。
  • 残りのルイジアナ準州における奴隷制の問題は、各州が州への昇格を申請する際にそれぞれ判断することとされました。

妥協の限界とその後の歴史

ミズーリ妥協は当面の危機を一時的に収束させましたが、奴隷制をめぐる南北の根本的な対立や亀裂を解消できたわけではありません。未解決のまま残された緊張は燻り続け、やがて地域間の対立をさらに深め、最終的には南北戦争へとつながっていくことになりました。