南アメリカの歴史

パーマー襲撃はどのようにして市民の権利を奪ったのか?――第一次レッド・スケアにおける公民権侵害の実態

第一次レッド・スケアと「パーマー襲撃」とは

1917年のロシア革命(ボリシェヴィキ革命)をきっかけに、アメリカ合衆国では共産主義への強い恐怖が社会全体に広がりました。この時期は「第一次レッド・スケア」と呼ばれています。当時の司法長官A・ミッチェル・パーマーは、共産主義者や無政府主義者とみられる人々を対象に、大規模な一斉検挙を実施しました。

これらの一連の手入れは「パーマー襲撃(パーマー・レイド)」として知られています。捜査当局は令状を取得することなく家屋や事務所への立ち入りを行い、数千人規模の逮捕と国外追放を断行しました。逮捕者の多くは外国生まれの移民でした。こうした手法は、市民的自由や憲法上の権利を著しく侵害するものとして、当時から激しい批判を受けました。以下では、主な問題点を4つの観点から詳しく見ていきます。

1. 適正手続(デュー・プロセス)の否認

パーマー襲撃最大の問題点は、令状も法的根拠もないまま捜索・逮捕が行われたことです。犯罪行為の証拠がないまま拘束された人々は、長期間にわたって裁判も弁護士との面会も許されずに拘留されました。これは、合衆国憲法修正第5条および第6条が保障する「適正手続」と「公正な裁判を受ける権利」の明白な侵害です。

2. 差別と偏見に基づく標的設定

パーマー襲撃は、東欧・南欧出身の移民など、外国生まれの人々を不釣り合いなほど強く標的にしました。彼らは急進的な政治運動と結び付けられがちだったためです。このような差別的な対応は、「法の下の平等な保護」の原則、そして州が何人に対しても法的手続なしに生命・自由・財産を奪うことを禁じる憲法修正第14条の精神に真っ向から反するものでした。

3. 言論の自由と結社の自由への抑圧

この一連の手入れは、労働運動の組織者や政治的な異議を唱える人々の言論活動を封じ込めることを目的としていました。違法行為に関与していなくても、労働組合への加入や左翼系政治団体との関わりだけで標的となったケースが少なくありませんでした。これは、憲法修正第1条が保障する言論の自由と集会・結社の自由に対する重大な侵害といえます。

4. 恒常的な拘留と国外追放

数千人が逮捕され、過密で不衛生な環境のもとで拘束されました。その後、正当な法的手続を経ることなく、あるいは自らの身柄について異議を唱える機会すら与えられないまま、国外追放処分となった人も多くいました。この恣意的な自由の剥奪は、適正手続の権利と移動の自由を根本から損なうものでした。

歴史に残る公民権侵害とその帰結

パーマー襲撃は、アメリカ史上でも際立った公民権・憲法上の自由の侵害事件として記録されています。パーマーの手法には世論から強い批判が集中し、結果的には、これらの襲撃を下支えしていたレッド・スケア(赤狩り)の空気そのものへの反発を招くことになりました。「国家の安全」を名目とした過剰な取り締まりが基本的人権をいかに脅かしうるかを示す歴史的教訓として、この事件は今日でも語り継がれています。