13植民地の憲法批准順序
アメリカ合衆国憲法は、1787年の制憲会議で起草された後、各州(当時は「植民地」)による批准を経て正式に発効しました。以下は、13植民地が憲法を批准した順序です。
- デラウェア州(1787年12月7日)
- ペンシルベニア州(1787年12月12日)
- ニュージャージー州(1787年12月18日)
- ジョージア州(1788年1月2日)
- コネチカット州(1788年1月9日)
- マサチューセッツ州(1788年2月6日)
- メリーランド州(1788年4月28日)
- サウスカロライナ州(1788年5月23日)
- ニューハンプシャー州(1788年6月21日)
- バージニア州(1788年6月25日)
- ニューヨーク州(1788年7月26日)
- ノースカロライナ州(1789年11月21日)
- ロードアイランド州(1790年5月29日)
この順序になった理由
13植民地が憲法を批准した順序は、歴史的なつながり、地理的条件、経済的利害、政治情勢など、複数の要因が組み合わさって決まりました。順序に影響を与えたと考えられる主な要因を紹介します。
1. 歴史的なつながりと忠誠心
中央政府との歴史的な結びつきや忠誠心が強かった植民地ほど、憲法に早く賛同する傾向がありました。独立戦争を通じて中央集権的な統治の必要性を実感していた州は、より積極的に批准を進めました。
2. 地理的な位置
中央政府に近い場所にあったり、交通網が整備されていたりした植民地は、情報伝達や意思疎通が容易だったため、早い段階で批准に踏み切りやすかったと考えられます。
3. 経済的利益
中央政府と深い経済的関係を持っていた植民地や、新しい連邦制度から利益を得られると見込んでいた植民地は、自らの利益を確保するために早期の批准を目指しました。例えば、ジョージア州は西部辺境での防衛支援を連邦政府に期待し、早めに批准したと言われています。
4. 政治情勢
各植民地内部の政治力学、すなわち連邦主義者(フェデラリスト)と反連邦主義者の勢力バランスも、批准の時期に大きな影響を与えました。反連邦主義者が強勢だった州では、合意形成までにより多くの時間を要しました。
5. 審議と批准のプロセス
憲法の審議・批准プロセスは州ごとに異なり、その進行速度も順序に影響しました。慎重に議論を重ねたり、修正条項(権利章典)の追加を求めたりした州は、批准が遅れることになりました。実際、ノースカロライナ州とロードアイランド州は権利章典の追加を強く求め、他の州より大幅に遅れて批准しています。
まとめ
なお、批准の順序が必ずしも各州内での憲法への支持度や反対度を反映しているわけではない点には注意が必要です。批准が遅れた州の中にも、活発な議論や修正要求を経た末に最終的に批准した州が数多くあります。特にマサチューセッツ州では激しい論争の結果、「批准と引き換えに修正案の検討を認める」という妥協が成立し、この方式はその後の州にも波及して権利章典成立への道を開きました。