1948年の南部ディキシークラット(Southern Dixiecrats)について正しい記述は、「民主党の公民権擁護の姿勢に反対するため、州権民主党(States' Rights Democratic Party/通称ディキシークラット党)を結成した」というものです。
ディキシークラットとは何か?
ディキシークラットは、1948年にアメリカ合衆国南部諸州の民主党員によって結成された分派政党です。「Dixiecrat(ディキシークラット)」は「Dixie(南部)」と「Democrat(民主党員)」を掛け合わせた呼称で、正式名称は州権民主党でした。
結成の背景
きっかけとなったのは、ハリー・S・トルーマン大統領が推進した公民権政策です。1948年の民主党全国大会において、党綱領に人種差別の撤廃や公民権保護を盛り込むことが決定されると、これに強く反発した南部の民主党代表団が大会を離脱しました。
彼らは人種隔離(ジム・クロウ法)の維持と「州の権限」の擁護を掲げ、同年7月にアラバマ州バーミングハムで独自の党を結成しました。
1948年大統領選挙での動向
ディキシークラット党はサウスカロライナ州知事のストロム・サーモンド(J. Strom Thurmond)を大統領候補に擁立しました。選挙の結果、同党はアラバマ、ルイジアナ、ミシシッピ、サウスカロライナの4州で勝利し、39名の選挙人を獲得しましたが、トルーマン大統領の再選を阻止することはできませんでした。
歴史的意義
ディキシークラット運動は短命に終わりましたが、その後数十年にわたる南部白人有権者の政党離れ、すなわち「 solid South(確固たる南部)」が民主党から共和党へ移行する流れの先駆けとなった点で、アメリカ政治史において重要な転換点とされています。