南部諸州が繰り返し口にした「脅し」とは
アメリカの歴史において、南部諸州は奴隷制をめぐる対立が深刻化するたびに、「合衆国(連邦)からの脱退」を繰り返し脅しとして提示してきました。この「脱退(セセッション)」こそが、南部が北部に対して何度も使った最大の交渉カードだったのです。
脱退をちらつかせた歴史的背景
1820年のミズーリ妥協から1850年の妥協、そしてカンザス・ネブラスカ法に至るまで、新たな州における奴隷制の是非が争点となるたびに、南部の政治家たちは「要求が受け入れられなければ連邦を離脱する」と主張し、北部との駆け引きに利用してきました。
ついに実行された脱退と南北戦争の勃発
しかし、1860年のエイブラハム・リンカーン大統領当選を機に、状況は一変します。同年12月にサウスカロライナ州が真っ先に脱退を宣言すると、これに続く形で最終的に11の南部諸州が連邦から離脱し、「アメリカ連合国」を結成しました。
そして1861年4月、サムター要塞への攻撃をきっかけにアメリカ南北戦争が正式に勃発。長年にわたり脅しとして繰り返されてきた「脱退」が現実のものとなり、国家を二分する悲劇的な内戦へと発展したのです。