アメリカ中西部北部に位置するサウスダコタ州は、先住民族ラコタ・スー族の歴史、開拓者たちの足跡、そして雄大な自然とともに歩んできた土地です。ここでは、サウスダコタの歴史を形作ってきた重要な出来事を、時代順にわかりやすくご紹介します。
建州へ至る道のり
1803年:ルイジアナ買収
トーマス・ジェファーソン政権下のアメリカ合衆国がフランスから広大な領土を購入した「ルイジアナ買収」により、現在のサウスダコタにあたる地域も合衆国の一部となりました。これが、この地におけるアメリカ史の幕開けです。
1861〜1865年:南北戦争とダコタ準州
南北戦争の時期、この地域はダコタ準州の一部でした。住民の多くは北軍(連邦側)として従軍し、後方支援の面でも戦争遂行を支えました。
1874年:ブラックヒルズでの金の発見
ブラックヒルズ(黒い丘)で金鉱脈が発見されるとゴールドラッシュが巻き起こり、デッドウッドなどの鉱山町が急速に栄えました。一方で、スー族の聖地への入植が進んだことは、先住民との対立を深める要因ともなりました。
1889年:合衆国40番目の州に
1889年11月2日、サウスダコタは合衆国40番目の州として正式に連邦へ加わりました。同じ日にノースダコタも州昇格を果たしており、双子の州として知られています。
苦難と変化の時代
1890年:ウーンディッド・ニーの虐殺
パインリッジ保留地近くのウーンディッド・ニー(傷ついた膝の川)で、米軍により数百人のラコタ・スー族が命を奪われる悲劇が発生しました。先住民と合衆国政府の関係を象徴する痛ましい事件として、今日まで語り継がれています。
1930年代:大恐慌とダストボウル
世界恐慌がサウスダコタを直撃し、広範な貧困と失業が蔓延しました。さらに干ばつと砂嵐(ダストボウル)が農業地帯を襲い、多くの農家が土地を手放すことになりました。
戦争と社会変動の20世紀
1941年:マウント・ラッシュモア完成と第二次世界大戦
歴代大統領の顔を岩肌に彫り込んだ国民的ランドマーク、マウント・ラッシュモアが長い歳月をかけて完成しました。同年に始まった第二次世界大戦では、多くの州民が軍務に就き、州内でも戦争資材の生産などを通じて戦争努力に貢献しました。
1960年代:公民権運動の波
全国的な公民権運動の高まりはサウスダコタにも及び、公共施設の差別撤廃や差別禁止法制の整備が進みました。同時期には、先住民の権利を求める声も次第に大きくなっていきます。
1973年:ウーンディッド・ニー占拠事件
先住民活動家グループ「AIM(アメリカインディアン運動)」が、1890年の虐殺の現場となったウーンディッド・ニーの村を約70日間にわたり占拠し、条約の履行と先住民の権利を訴えました。この事件は全米に先住民問題への関心を呼び起こしました。
1980年代:農業危機
1980年代の農業危機は、州経済の柱である農業・畜産業に深刻な打撃を与え、多くの農場や牧場が経営難に追い込まれました。
現代のサウスダコタ
1990年代:経済回復と観光立州へ
1990年代に入ると州経済は回復基調に転じ、マウント・ラッシュモアやバッドランズ国立公園、カスター州立公園などを訪れる観光客が増加し、サウスダコタは人気の観光地としての地位を確立していきました。
2000年〜現在:成長と繁栄の21世紀
21世紀に入ってもサウスダコタは着実な発展を続けています。雄大な自然景観、力強い農業部門、そして温かく友好的な人々で知られるこの州は、観光業や金融サービス業とともに、明るい未来へと歩み続けています。