南アメリカの歴史

植民地時代のニュージャージーには奴隷制と年季奉公制が存在したのか?

結論から言えば、植民地時代のニュージャージーには奴隷と年季奉公人(インデンチャード・サーヴァント)の両方が存在していました。ただし、両者の役割や普及の程度には大きな違いがありました。

年季奉公制の方が広く普及していた

ニュージャージー植民地では、年季奉公制のほうが奴隷制よりも広く行われていました。年季奉公人とは、主にイギリスやドイツなどから渡航費の支払いのために、一定期間(通常4年から7年ほど)労働を約束して移住してきた人々のことです。契約期間を終えれば自由の身となり、土地や衣類、ときには金銭を与えられて独立の道が開かれることもありました。

18世紀に拡大した奴隷制

一方、奴隷制も植民地の経済において無視できない存在でした。とりわけ18世紀には、農園経営や家事労働のためにアフリカ人奴隷の数が大きく増加しました。ニュージャージーは東ジャージーと西ジャージーに分かれていた時代から奴隷を所有する慣行があり、統合後も奴隷法が整備され、奴隷制が法的に認められていました。

二つの労働制度の違い

年季奉公人と奴隷の最大の違いは、その身分の永続性にあります。年季奉公人は契約に基づく一時的な束縛であったのに対し、奴隷は生涯にわたる強制的な労働を課され、その地位は子孫にまで受け継がれました。

その後の変遷

アメリカ独立後もニュージャージーにおける奴隷制はすぐには廃止されず、1804年にようやく段階的解放法が制定されました。それでも完全な廃止にはさらに長い年月を要し、ニュージャージーは北部州の中でも奴隷制の残存が最も長かった州の一つとして知られています。

このように、植民地時代のニュージャージーは、契約労働と強制労働という二つの異なる労働体制が並存していた土地だったのです。