アメリカ史に残る最大級の謎、「失われた植民地」
1587年、現在のノースカロライナ州沖に位置するロアノーク島に、ジョン・ホワイト率いるイングランド人入植者たちによって植民地が建設されました。しかしわずか3年後、入植者たちは忽然と姿を消し、この植民地は「失われた植民地(Lost Colony)」として、アメリカ史上最も有名な謎の一つとなりました。
ここでは、ロアノーク植民地の消滅につながったとされる主要な出来事を紹介します。
1. 補給船の遅延と物資不足
ロアノークの入植者たちは、イングランドからの補給に大きく依存していました。しかし、当時進行していた英西戦争や悪天候などの諸要因により、補給船は定期的に到着することができませんでした。その結果、入植者たちは深刻な食糧難をはじめとする数々の苦難に直面することになります。
2. 先住民族との対立
入植者と現地の先住民族との関係は、当初から緊張状態にありました。相互の誤解や文化的な衝突、資源をめぐる競合などにより、両者の間では紛争や摩擦が絶えず、植民地の存続を脅かす一因となりました。
3. 植民地内部の分裂
入植者同士にも、意見の相違や指導権をめぐる争いといった内部分裂が存在しました。こうした内部対立は、植民地の団結と安定をさらに弱め、共同体としての基盤を揺るがすことになりました。
4. 食料を求めた移動
過酷な生活環境と減り続ける食料供給のため、入植者たちはロアノーク島の周辺域を離れ、食料を求めて外へ出ていくことを余儀なくされました。一部の入植者はさまざまな方向へ分散した可能性があり、彼らの動向を正確に把握することは次第に困難になっていきました。
5. 植民地の放棄
1590年、3年ぶりにイングランドから戻ってきたジョン・ホワイトが目にしたのは、もぬけの殻となった植民地でした。そこに残されていた手がかりは、家屋の柱に刻まれた「CROATOAN(クロトアン)」という文字と、木に書き付けられた「CRO」という字母のみでした。これは一部の入植者がクロトアン島(現在のハッタラス島)へ移住したことを示唆している可能性がありますが、それ以降、入植者たちの足取りが確認されることは二度とありませんでした。
今も解けないままの謎
大規模な捜索活動や数多くの仮説、歴史的調査が行われてきたにもかかわらず、ロアノーク入植者の正確な運命は、今日まで明らかになっていません。彼らの失踪をめぐるミステリーは、400年以上の時を経てもなお、歴史学者や歴史愛好家たちを魅了し続けているのです。