南アメリカの歴史

ミズーリ州の州昇格をめぐる争いは、セクショナリズムが米国でいかに紛争を引き起こしたかをどのように示したのか?

1820年代のミズーリ州の州昇格をめぐる争いは、南北間の緊張、すなわち「セクショナリズム(地域主義)」の高まりを鮮明に示し、アメリカ合衆国内の重大な対立の一因となりました。論争の核心にあったのは、ミズーリを新しい州として連邦に加える際、奴隷州として迎えるか自由州として迎えるかという問題であり、これは奴隷州と自由州の数の均衡に直結する重大な懸案事項でした。

ミズーリ州の連邦加盟

1819年、ミズーリは奴隷州としてアメリカ合衆国への加盟を求めました。当時、上院は自由州と奴隷州で同数に分かれていたため、これが大きな問題となりました。もしミズーリが奴隷州として加盟すれば、勢力バランスが南部側に傾き、奴隷制を維持する州が議会においてより強い発言力を持つことになるからです。

タルマッジ修正案

この問題に対処するため、ニューヨーク州選出の下院議員ジェームズ・タルマッジは、ミズーリ州昇格法案に対する修正案を提案しました。通称「タルマッジ修正案」と呼ばれるこの案は、ミズーリは自由州としてのみ加盟できること、また今後ミズーリで生まれる奴隷は25歳に達した時点で解放されることを定めていました。この修正案は下院では可決されましたが、上院では否決されました。

1820年のミズーリ妥協

膠着状態を打開するため、議会は1820年に「ミズーリ妥協」を可決しました。この妥協により、ミズーリは奴隷州として連邦に加盟することが認められる一方、上院の均衡を維持するためにメイン州が自由州として新たに加盟することになりました。さらに、ルイジアナ買収地における自由地域と奴隷制地域の境界線として北緯36度30分線が設定されました。

セクショナリズムがもたらした影響

高まり続ける緊張

ミズーリの州昇格をめぐる論争は、南北間の地域的分裂の拡大を浮き彫りにしました。北部の人々(その多くは奴隷制の存続に反対していました)は奴隷制の拡大を制限すべきだと主張した一方、南部の人々は奴隷制を自らの経済と生活様式に不可欠なものとして擁護しました。

対立の激化

この問題をめぐる白熱した議論は、南北間のさらなる対立を加速させる触媒となりました。この争いは両地域間の深刻な相違を露呈させ、共通の土台を見出し、平和的な合意形成を行うことをますます困難にしました。

国家分裂の危機

ミズーリをめぐる論争は、それ以前のどの問題よりも連邦を解体の危機に近づけました。北部と南部の双方とも、自分たちにとって不利な条件で争いが解決されるのであれば、連邦からの脱退(分離独立)も辞さない構えを見せていました。1820年のミズーリ妥協は一時的に緊張を和らげましたが、セクショナリズムの根本的な原因を取り除くことはできず、結果として南北戦争へと至るより深刻な対立の舞台を整えることとなりました。

ミズーリ州の州昇格をめぐる争いは、アメリカ合衆国における親奴隷制派と反奴隷制派の間のより大きな対立を象徴する出来事でした。この争いは国家の統合を揺るがす地域的分裂の深まりを浮き彫りにし、その後数十年にわたる激動の時代、そして最終的には南北戦争へと至る道筋を予感させるものとなったのです。