アブラハム・リンカーン大統領の、南部下層諸州の連邦離脱に対する当初の対応は、「慎重な自制」に特徴づけられていました。彼は連邦(ユニオン)の維持を何よりも重視し、不必要な紛争を避けようとしたのです。ここでは、南部諸州が離脱した際のリンカーンの反応を、時系列に沿って詳しく見ていきましょう。
1. 就任演説(1861年3月4日)
リンカーンは就任演説において、連邦維持の重要性を強調しました。離脱は違法であると明言し、憲法を擁護し、すべての州で連邦法を執行する意志を示しました。
その一方で、南部との和解の意思も表明しています。「自分から先に武力を用いることはない」と述べ、緊張の緩和を図りました。
2. サムター要塞への対応(1861年4月12日〜14日)
南軍がサウスカロライナ州のサムター要塞を攻撃すると、リンカーンは重大な決断を迫られました。
彼は反乱鎮圧のため、7万5千人の志願兵を募集する布告を発します。これが南北戦争の正式な始まりとなりました。
3. 境界州戦略
リンカーンは、メリーランド、ケンタッキー、ミズーリといった「境界州」を連邦側に留めることの戦略的重要性を十分に認識していました。
そのため、これらの州を離脱へ追い込みかねない挑発的な行動は避け、極めて慎重な姿勢を貫きました。
4. 奴隷解放宣言(1863年1月1日)
戦争が長期化する中、リンカーンは奴隷解放宣言を発し、南部連合諸州における奴隷の自由を宣言しました。
この措置によってすべての奴隷が即座に解放されたわけではありませんが、奴隷制終結への揺るぎない意志を示すとともに、戦争に道義的な正統性を与えることになりました。
5. ゲティスバーグ演説(1863年11月19日)
有名なゲティスバーグ演説において、リンカーンは連邦の理念を支える自由・平等・民主主義の原則を改めて確認しました。
そして、国家の未来を形作るうえで、この戦争が持つ不朽の意義を強調したのです。
6. 再建(レコンストラクション)計画
実はリンカーンは、南北戦争の最中から既に戦後の再建計画を構想していました。
南部連合への懲罰という必要性と、和解および連邦の迅速な復元への願いとの間で、バランスを取ろうとしたのです。
まとめ
南部諸州の離脱に対するリンカーンの対応は、連邦strong>連邦維持への揺るぎない決意、軍事衝突への慎重なアプローチ、そして奴隷解放と再建への段階的な移行という3つの要素によって特徴づけられます。衝動的に武力に訴えることなく、状況を見極めながら国家の分裂を防ごうとしたその指導力は、今日でも高く評価されています。