南アメリカの歴史

18世紀初頭の南部植民地では、黒人奴隷は白人入植者より多かったのか?

「18世紀初頭、イギリス領南部植民地では黒人奴隷の数が白人入植者を上回っていた」という見解は、概して正しくありません。1700年前後の時点では、バージニア、メリーランド、ノースカロライナといった南部植民地全体で見ると、白人入植者の人口が依然として黒人奴隷を大きく上回っていました。

当時の人口動態

例えば1700年頃のバージニア植民地では、総人口約6万人のうち黒人はおよそ1万6000人と推定されており、白人が圧倒的な多数派でした。タバコ・プランテーションの拡大に伴って奴隷労働への依存が急速に深まったのは、むしろ18世紀に入ってからのことです。

例外となった地域:サウスカロライナ

ただし、地域によっては早い段階で人口構成の逆転が起こっていました。稲作プランテーションが発展したサウスカロライナでは、1708年頃にはすでに黒人人口が白人を上回り、以降もその傾向が続きました。このため、「南部植民地」と一括りにせず、植民地ごとの状況を区別して考えることが重要です。

人口構成が逆転した時期

南部植民地全体で黒人奴隷の割合が高まったのは、18世紀半ば以降です。アフリカからの奴隷貿易が本格化し、特にサウスカロライナやジョージアの低地部(Lowcountry)では、アメリカ独立戦争前の時点で黒人住民が人口の過半数を占めるようになりました。つまり「奴隷が多数派となった」のは事実ですが、それは18世紀初頭ではなく、世紀の中盤から後半にかけて進行した現象だったのです。