リンカーンは奴隷解放政策を拒否したのか?
「リンカーンが最初に奴隷解放政策を拒否した」という見方は、実は正確ではありません。エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)は、1863年1月1日に「奴隷解放宣言(Emancipation Proclamation)」を発布し、アメリカ連合国(南部諸州)に属するすべての奴隷を自由な身分とすることを宣言しました。
就任当初は慎重だった理由
ただし、大統領就任当初のリンカーンは、奴隷制の即時廃止に対して慎重な姿勢を取っていました。彼にとって最優先の課題は国家統一の維持、すなわち南北戦争において合衆国を守り抜くことでした。メリーランドやケンタッキーといった境界州の連邦離脱を防ぐためにも、性急な奴隷解放は避けたいという政治的な判断があったのです。
奴隷解放宣言への道のり
戦争が長期化するにつれ、リンカーンは奴隷解放が軍事的にも道義的にも不可欠であると考えるようになりました。1862年9月22日、アンティータムの戦いの後には予備的な解放宣言を発表し、翌1863年1月1日、正式に奴隷解放宣言を発布しました。これにより、連邦政府に反抗する南部諸州内の約300万人の奴隷が「自由である」と宣言されたのです。
宣言の限界とその後の展開
奴隷解放宣言は、当時連邦政府の支配が及んでいなかった南部地域に主に適用されるものであり、その即時的な効果には限界がありました。しかしながら、北軍が進軍するにつれて実際に多くの奴隷が解放され、黒人兵士が北軍に参加する道も開かれました。さらに1865年12月に批准された憲法修正第13条によって、奴隷制は合衆国全土で法的に廃止されることとなりました。
まとめ
リンカーンは奴隷解放を「拒否」したわけではなく、政治的・軍事的な状況を見極めながら、最終的に奴隷解放を実現へと導いたのです。こうした歩みゆえに、彼は今日でも「偉大な解放者」として評価され続けています。