結論から言えば、北軍(アメリカ合衆国)のウィリアム・H・スワード国務長官が、対外戦争を仕掛けることで南部諸州を連邦に復帰させることを主張した、と直接裏付ける信頼できる証拠は存在しません。
スワードとはどのような人物か
ウィリアム・ヘンリー・スワード(William H. Seward)は、1861年から1869年までアメリカ合衆国の国務長官を務めた政治家です。リンカーン政権下で外交を統括し、後にロシアからアラスカを購入したことで広く知られています。南北戦争の開戦前夜には新政権の中核人物として大きな影響力を持っていました。
誤解のもととなった「大統領への覚書」
この説が生まれた背景には、1861年4月1日にスワードがリンカーン大統領へ提出した覚書「大統領が考慮すべきいくつかの考え(Some Thoughts for the President's Consideration)」があります。この文書の中でスワードは、スペインやフランスに対して強硬な外交姿勢を取ること、さらには状況次第で議会を招集し宣戦布告に踏み切ることも辞さない考えを示しました。
この記述を、「南部を連邦に引き戻すために意図的に外国との戦争を起こそうとした」と読む解釈が一部に存在します。しかし、これは後世による一つの推測にすぎず、覚書そのものがそのような目的を明言しているわけではありません。
歴史家たちの評価
多くの歴史家は、この覚書を「対外戦争による国家再統合の計画」とは見なしていません。その主な理由は以下の通りです。
- 覚書は開戦直前の混乱期に書かれた私的な草案であり、正式な政策決定ではなかった。
- リンカーン大統領は即座にこれを退け、実際に実行に移されることはなかった。
- スワードの真意については、国内の分裂を外交問題へ転化させて危機を乗り切ろうとしたもの、あるいは政権内での自らの主導権を誇示しようとしたものなど、複数の解釈があり確定していない。
まとめ
スワードが強硬な対外政策に言及した覚書を残したことは事実ですが、「南部を北軍に戻す方法として対外戦争を主張した」ことを直接証明する証拠はありません。この説は、限られた一次資料に対する推測的な解釈に基づくものであり、歴史学上の定説とは言えないのです。